是の如き法は、適貪する所無く、當に瞋怒せず、齋戒淸淨に慈心精進して欲念を斷じて、無量淸淨佛國に往生せんことを欲して、一日一夜斷絶せざれば、其の人今世に於て、亦復臥睡の夢中に於て、無量淸淨佛を見たてまつり、其の人壽盡きんと欲する時、無量淸淨佛、則ち化して其の人をして自ら無量淸淨佛及び國土を見せしむ。無量淸淨佛國に往生する者は、智慧勇猛なることを得べし。佛言はく。其の人奉行施與すること是の如くなる者、若し其れ然る後中ごろ復悔ひて、心中に狐疑して、分檀布施し諸善を作せば後世に其の福を得ることを信ぜず、無量淸淨佛國有ることを信ぜず、其の國中に往生することを信ぜず。爾も其の人念を續けて絶たず、暫くは信じ暫くは信ぜず、意志猶豫して專らなる所無しと雖も、續きて其の善なる願を結するを本と名るに據りて、續きて往生を得、其の人壽命病みて終らんと欲する時、無量淸淨佛、則ち自ら化して形像と作り、其の人をして目に自ら之を見、口には復言ふこと能はざれども、便ち心中に歡喜し踊躍して、意に念じて言く。我益々齋して善を作すことを知らざりしを悔ゆ、今當に無量淸淨佛國に生ず。其の人則ち心中に過を悔ゆ、過を悔ゆれば過差や少きも、須つ所無し。其の人の壽命終り盡くるに及びて、則ち無量淸淨佛國に生ずれども、前みて無量淸淨佛の所に至ることを得ること能はず。便ち道に無量淸淨佛の國界の邊の自然七寶の城を見て、心中に便ち大に歡喜し、道に其の城中に止る。則ち七寶の水池の蓮華の中に化生して、則ち身を受け自然に長大す。城中に在ること是の間に於て五百歳なり。其の城の廣縱各々二千里、城中にも亦七寶の舍宅有り、舍宅の中に自然に内外に皆七寶の浴池有り。浴池の中にも亦自然の華有りて繞れり。浴池の上(ほとり)に亦七寶樹有りて重り行び、皆復五の音聲を作せり。其の飮食の時は前に亦自然の食有り、百味を具したる食なり。欲する所に在りて得。其の人城中に於て快樂あり、其の城中比へば第二忉利天上の自然の物の如し。其の人城中より出づることを得ること能はず、復無量淸淨佛を見たてまつることを得ること能はず、但其の光明を見たてまつりて、心中に自ら悔責し、踊躍して喜ぶのみ。亦復經を聞くことを得ること能はず、亦復諸の比丘僧を見ることを得ること能はず、亦復無量淸淨佛の國中の諸の菩薩・阿羅漢の状貌は何等の類と見知することを得ること能はず。其の人若ち是の如し、比へば小適するごときのみ。佛亦爾らしむるにあらず、