身の諸の所作、自然に之を得しなり。皆心に自ら趣向して道に其の城中に入りしなり。其の人本宿命に道を求めし時、心口各異にして言念誠無く、佛經を狐疑して、復之を信向せず、當に自然に惡道の中に入るべし。無量淸淨佛哀愍して、威神もて之を引きて去りたまふのみ。其の人城中に於て五百歳にして、乃ち出づることを得て、無量淸淨佛の所に往至して、經を聞けども心に開解せず、亦復諸の菩薩・阿羅漢・比丘僧の中に在ることを得ず、經を聽きて以て去る。居處る所の舍宅地に在りて、舍宅をして意に隨ひて高大にして虚空の中に在らしむること能はず。復無量淸淨佛を去ること甚だ大に遠くして、無量淸淨佛に近附したてまつることを得ること能はず。其の人智慧明かならず、經を知ることも復少くして、心歡樂せず、意開解せず。其の人久久に、亦自ら當に智慧開解して經を知るべし、明健勇猛にして心當に歡樂すべし。次で當に復上の第一輩の如くなるべし。所以は何ん、其の人但其の前世宿命に、道を求めし時、大に齋戒を持せず、經法を虧失し、心意狐疑なるに、佛語を信ぜず、佛經を信ぜず、深く分檀布施して善を作せば後世に其の福を得べきことを信ぜず、復中悔して無量淸淨佛國に往生することを信ぜざるに坐せられて、徳を作すこと至心ならず、是を用ての故に第二の中輩と爲す。

佛言はく。其の三輩とは、其の人願じて無量淸淨佛國に生まれんと欲すれども、若しは分檀布施を用ふる所無く、亦香を燒き華を散らし燈を然し繒綵を懸け、佛寺を作り塔を起て、沙門に飮食せしむること能はざる者は、當に愛欲を斷じて貪慕する所無く慈心精進にして當に瞋怒せず、齋戒淸淨なれ。是の如く淸淨なる者、當に一心に念じて無量淸淨佛國に生ぜんと欲し、晝夜十日斷絶せざれば、壽終りて則ち無量淸淨佛國に往生して、復尊極にして智慧勇猛なるべし。佛言はく。其の人是を作して已後、若し復中ころ悔ゆる心を作して、意に狐疑を用て、善を作せば後世に其の福を得べきことを信ぜず、無量淸淨佛國に往生することを信ぜず、其の人爾りと雖も、續で往生することを得。其の人壽命病みて終らんと欲する時、無量淸淨佛、則ち其の人をして臥睡の夢中に於て無量淸淨佛の國土を見しむ。其の人心中に歡喜し、意に自ら念じて言く。我益々善を作すべきことを知らざりしを悔ゆ、今當に無量淸淨佛國に生ずべし。其の人但心に是を念じて口に復言ふこと能はざれども、則ち自ら過を悔ゆ。過を悔ゆれば過差や減少きも、悔ゆる者は復する所無し。其の人命終るに及びて、