佛道を奉行し、皆明慧を得、心に悉く開解して、憂苦を度過し度脱することを得ざる者莫し。今我佛と作り、五惡・五痛・五燒の中に在りて、五惡を降化し、五痛を消盡し、五燒を絶滅し、善を以て惡を攻め、毒苦を拔き去りて、五善を得て明かに好く燒惡をして起らざらしむ。我般泥洹し去りて後、經道稍稍斷絶し、人民諛諂にして淳く衆惡を爲り、復善を作さざれば、五燒復起り、五痛の劇苦、復前の法の如く、自然に還復し、久しくして後轉た劇しからん。悉く説くべからず。我但若曹が爲に小しく之を道ふのみ。佛阿逸菩薩等に告げたまはく。若曹各々思ひて之を持てよ、展轉して相敎戒し、佛の經法の如くにして敢て犯すこと無かれ。阿逸菩薩、長跪叉手して言さく。佛の説きたまふ所甚だ苦痛(ねんごろ)なり、世人惡を爲すこと甚だ劇しきこと是の如く是の如し。佛皆慈哀して悉く之を度脱したまふ。皆言く、佛の重敎を受けて、請ふ展轉相承して、敢て犯さずと。佛阿難に告げたまはく。我若曹を哀みて、悉く無量淸淨佛及び諸菩薩・阿羅漢所居の國土を見しめん。若ぢ之を見んことを欲するや。阿難則ち大に喜び長跪叉手して言さく。願はくは皆之を見んことを欲す。佛言はく。若起ちて更に袈裟を被て西に向ひて拜し、日の沒する處に當りて無量淸淨佛の爲に禮を作し、頭面を以て地に著け、南無無量淸淨平等覺と言へと。阿難言さく。諾。敎を受けて則ち起ち、更に袈裟を被て西に向ひて拜し、日の沒する處に當りて無量淸淨佛の爲に禮を作し、頭腦を以て地に著けて、南無無量淸淨平等覺と言ふ。阿難起たざるに、無量淸淨佛、便ち大に光明を放ちて、威神則ち八方・上下の諸の無央數の佛國に遍し、天地則ち皆爲に大に震動し、諸天無央數の天地、須彌山羅寶・摩訶須彌大山羅寶、諸の天地、大界・小界、其の中の諸有大泥犁・小泥犁、諸の山林・溪谷・幽冥の處、皆則ち大に明かにして、悉く雨りて大に開闢す。則ち阿難、諸の菩薩・阿羅漢等、諸天・帝王・人民、悉く皆無量淸淨佛及び諸の菩薩・阿羅漢、國土の七寶を見已りて、心皆大に歡喜し踊躍して、悉く起ちて無量淸淨佛の爲に禮を作し、頭腦を以て地に著けて、皆南無無量淸淨三藐三佛陀と言ふ。無量淸淨佛の放ちたまふ光明威神にして、已に諸の無央數の天・人民及び蜎飛・蠕動の類、皆悉く無量淸淨佛の光明を見たてまつりて、慈心歡喜して善を作さざる者莫し。