我等皆能く此の法門を持せり、當に衆生の爲に流通して絶えざらしむべし。世尊答へて言はく。是を善男子等則ち兩肩に菩提を荷擔すと爲す。彼の人は即ち不斷辨才を得、善く淸淨なる諸佛の世界を得。命終の時に即ち現に阿彌陀佛諸の聖衆と其の人の前に住したまふを見たてまつることを得て往生することを得るなり」と。自ら中下の輩有り。未だ相を破すること能はざれども、要ず信佛の因縁に依て淨土に生ぜんことを求む、彼の國に至ると雖も相土に還居す。又云く。若し縁を攝して本に從へば即ち是心外に法無し。若し二諦を分ちて義を明かさば淨土は是心外の法なりといふも妨無し。 二に問答解釋す。 問て曰く。向に無生の生は唯上士のみ能く入る、中下は堪へずと言ふは、爲は當た直に人を將て法に約して此の如き判を作すとやせん。爲は當た亦聖敎有りて來證すとやせん。答て曰く。『智度論』(卷二九・六七意)に依るに云く。「新發意の菩薩は機解軟弱にして、發心すと言ふと雖も多く淨土に生ぜんことを願ず。何の意ぞ然るとならば、譬へば嬰兒若し父母の恩養に近づかざれば、或は阬に墮し井に落ち火蛇等の難あり。或は乳に乏しくして死す。要ず父母の摩洗養育するを假りて方に長大して能く家業を紹繼すべきが如し。菩薩も亦爾なり。若し能く菩提心を發せば多く淨土に生ぜんことを願ず。諸佛に親近して法身を增長し、方に能く菩薩の家業を匡紹し十方に濟運す。斯の益の爲の故に多く生ぜんことを願ずるなり」と。又彼の『論』(智度論卷六一・六六意)に云く。「譬へば鳥子の翅翮未だ成らざるをば逼めて高く翔しむべからず、先づ須く林に依て樹を傳はしむべし、羽成り力有りて方に林を捨て空に遊ぶべきが如し。新發意の菩薩も亦爾なり。先づ須く願に乘じて佛前に生ずることを求めて、法身成長して感に隨ひて益に赴くべし。又阿難佛に白して言さく。此の無相の波羅蜜をば何れの處に在りてか説きたまふ。佛言はく。此の如きの法門をば阿毘跋致地の中に在りて説く。何を以ての故に、新發意の菩薩有りて此の無相波羅蜜門を聞かば、所有淸淨の善根悉く當に滅沒すべし。又來但彼の國に至れば即ち一切の事畢る、