淨心の菩薩は即ち上地の菩薩と畢竟じて同じく寂滅忍を得。故に更に退轉せず」と。又『大經』の四十八願を引く中に五番の大益有り。第一に『大經』(卷上意)に云く。「十方の人天我國に來生すること有らんに、悉く眞金の色ならずは正覺を取らじ」と。二(大經卷上意)に云く。「十方の人天我國に來生して、若し形色不同にして好醜有らば正覺を取らじ」と。三(大經卷上意)に云く。「十方の人天我が國に來生して宿命智を得ず、下百千億那由他の諸劫の事を知らざるに至らば正覺を取らじ」と。四(大經卷上意)に云く。「十方の人天我が國に來生して天耳通を得ず、下百千億那由他の諸佛の所説を聞かず、悉く受持せざるに至らば正覺を取らじ」と。五(大經卷上意)に云く。「十方の人天我が國に來生して他心智を得ず、下百千億那由他の諸佛國の中の衆生の心念を知らざるに至らば正覺を取らじ」と。彼の國の利益の事を論ぜんと欲ふに具に陳ぶべきこと難し。但當に生ぜんと願ずべし。必ず不可思議なり。是の故に彼の方は唯善唯樂にして苦無く惡無きなり。
[第九大門 二、二土壽命]
第二に壽命の長短を明すとは、此の方の壽命は大期も百年に過ぎず。百年の内より出づることは少く減ずることは多し。或は生年に夭喪し乃至童子にして身亡づ。或は復胞胎にして傷墮す。何の意か然るとならば、良に衆生因を作る時雜はれるに由る。是を以て報を受くること亦齊同なることを得ざるなり。是の故に『涅槃經』(北本卷三七・南本卷三四意)に云く。「作業の時黑なれば果報亦黑なり。作業の時白なれば果報亦白なり。淨雜亦爾なり」と。又『淨度菩薩經』に據るに云く。「人壽百歳なるも夜其の半を消す。即ち是五十年を減却するなり。五十年の内に就きて十五已來は未だ善惡を知らず、八十已去は昏耄虚劣なり、故に老苦を受く。此より外唯十五年在る有り。