中に於て外には則ち王官逼迫して長征遠防し或は繋がれて牢獄に在り。内は則ち門戸の吉凶衆事に牽き纏はれ、焭焭忪忪として常に求むるに足らず。斯の如く推計するに幾の時有りてか道業を修することを得べき。此の如く思量するに豈哀しまざらんや。何ぞ厭はざることを得んや」と。又彼の『經』(淨度菩薩經)に云く。「人世間に生れて凡そ一日一夜を經るに八億四千万の念有り。一念惡を起せば一惡身を受け、十念惡を念へば十生の惡身を得、百念惡を念へば一百の惡身を受く。一衆生一形の中を計るに、百年惡を念へば惡即ち三千國土に徧滿して其の惡身を受く。惡法既に爾り、善法も亦然なり。一念善を起せば一善身を受け、百念善を念へば一百の善身を受く。一衆生一形の中を計るに、百年善を念へば三千國土に善身亦滿つ。若し十年・五年阿彌陀佛を念ずることを得れば、或は多年の後に至りて無量壽國に生れ、即ち淨土の法身を受くること恆沙無盡にして不可思議なり。今既に穢土は短促にして命報遠からず。若し阿彌陀淨國に生ずれば、壽命長遠にして不可思議なり。是の故に『無量壽經』(小經意)に云く。「佛舍利弗に告げたまはく。彼の佛を何が故ぞ阿彌陀と號くるや。舍利弗、十方の人天彼の國に往生する者、壽命長遠にして億百千劫なり。佛と同等なるが故に阿彌陀と號く。各々宜しく此の利の大なることを量りて皆往生を願ふべし」。又『善王皇帝尊經』に云く。「其れ人有りて道を學して西方阿彌陀佛國に往生せんと念欲はんものは、憶念すること晝夜一日、若しは二日、或は三日、若しは四日、若しは五日、六日・七日に至るべし。若し復中に於て還悔せんと欲はんものは、我是の善王の功德を説くを聞くべし。命盡きんと欲する時、八菩薩有り皆悉く飛び來りて此の人を迎へ取り、西方阿彌陀佛國の中に到る。終に止ることを得ず」と。此より已下又『大經の偈』を引きて證と爲す。『讚』(讚彌陀偈意)に云く。