「其れ衆生有りて安樂に生ずれば、悉く三十有二相を具す、智慧滿足して深法に入る、道要を究暢して障礙無し、根の利鈍に隨ひて忍を成就す、三忍乃至不可説なり、宿命五通常に自在にして、佛に至るまで雜惡趣に更らず、他方の五濁の世に生れて、示現して同じく大牟尼の如くならんをば除く、安樂國に生ずれば大利を成ず、是の故に心を至して彼に生ぜんと願ず」と。
[第十大門]
第十大門の中に兩番の料簡有り。第一に『大經』に依て類を引きて證誠す。第二に廻向の義を釋す。
[第十大門 一、十方來生]
第一に『大經』に依て類を引きて證誠すとは、十方の諸佛西方に勸歸せざるは無し。十方の菩薩同じく生ぜざるは無し。十方の人天意有りて齊しく歸す。故に知んぬ不可思議の事なり。是の故に『大經の讚』(讚彌陀偈意)に云く。「神力無極の阿彌陀は、十方無量の佛に讚ぜられたまふ、東方恆沙の諸の佛國の、菩薩無數にして悉く往覲す、亦復安樂國の菩薩・聲聞諸の大衆を供養し、經法を聽受して道化を宣ぶ、自餘の九方も亦是くの如し」と。
[第十大門 二、廻向義趣]
第二に廻向の義を釋せば、但一切衆生既に佛性有るを以て人人皆成佛を願ふ心有り。然れども所修の行業に依て未だ一万劫に滿たざる已來は猶未だ火界を出でず輪廻を免れず。是の故に聖者斯の長苦を愍みて西に廻向するを勸めて大益を成らしめんと爲す。然るに廻向の功は六を越えず。何等をか六と爲す。一には所修の諸業を將て彌陀に廻向すれば、既に彼の國に至りて還六通を得て衆生を濟運す。此即ち道に住せざるなり。二に因を廻して果に向ふ。三に下を廻して上に向ふ。四に遲を廻して速に向ふ。此即ち世間に住せざるなり。五に衆生に廻施して悲念して善に向ふ。六に廻入して分別の心を去卻す。廻向の功只斯の六を成ず。是の故に『大經』(卷上意)に云く。「其衆生有りて我が國に生ぜん者は、自然に勝進して常倫諸地の行に超出して佛道を成ずるに至る。