更に廻復の難無し」と。故に『大經の讚』(讚彌陀偈意)に云く。「安樂の菩薩・聲聞の輩は、此の世界に於て比方無し、釋迦無礙の大辨才もて、諸の假令を設けて少分を示し、最賎の乞人を帝王に竝べ、帝王を復金輪王に比す、是の如く展轉して六天に至る、次第して相類するに皆始の如し、天の色像を以て彼に喩ふるに、千万億倍すとも其の類に非ず、皆是法藏願力の爲せるなり。大心力を稽首し頂禮したてまつる」と。
[第十一大門]
第十一大門の中に略して兩番の料簡を作す。第一に一切衆生を勸めて善知識に託して西に向かふ意を作さしむ。第二に死後に生縁の勝劣あることを辨ず。
[第十一大門 一、善知識憑託]
第一に勸めて善知識に託せしむとは、『法句經』に依るに衆生の與に善知識と作る。「寶明菩薩有り。佛に白して言く。世尊、云何が名けて善知識と爲すや。佛言はく。善知識は能く深法を説く、謂く空と無相と無願となり。諸法平等にして業無く報無く因無く果無し。究竟如如にして實際に住す。然るに畢竟空の中に於て熾然として一切の諸法を建立す。是を善知識と爲す。善知識は是汝が父母なり、汝等が菩提の身を養育するが故に。善知識は是汝が眼目なり、能く一切善惡の道を見るが故に。善知識は是汝が大船なり、汝等を運度して生死海を出すが故に。善知識は是汝が絚繩なり、能く汝等を挽き拔きて生死を出すが故なり」と。又勸めて衆生の與に善知識と作ると雖も、必ず須く西に歸すべし。何を以ての故に、斯の火界に住まれば違順の境多多にして退沒有りて出づること難きに由るが故なり。是の故に舍利弗、此に於て發心して菩薩の行を修すること已に六十劫を經たり。惡知識の乞眼の因縁に逢ひて遂に即ち退轉す。故に知んぬ火界にして道を修することは甚だ難し。故に西方に勸歸せしむ。一び往生を得れば