提婆即ち答へて云く。太子知りたまへりや不や。世尊年老いて堪任する所無し、當に之を除きて我自ら佛と作るべし。父の王も年老いたまへり。亦之を除きて太子自ら正位に坐すべし。新王・新佛治化せんに、豈樂しからずやと。太子之を聞きて、極めて大に瞋怒して、是の説を作すこと勿れといふ。又言く。太子瞋ること莫れ。父の王、太子に於て全く恩德無し。初めて太子を生まんと欲せし時、父の王即ち夫人をして百尺の樓の上に在りて天井の中に當りて生ましめ、即ち地に墮ちて死せしめんことを望む。正しく太子の福力を以ての故に、命根斷ぜずして、但小指を損す。若し信ぜずば、自ら小指を看よ、以て驗と爲るに足らんと。太子既に此の語を聞きて、更に重ねて審めて言く。實に爾りや已不やと。提婆答へて言く。此れ若し不實ならば、我故らに來りて漫語を作すべけんやと。此の語に因り已遂に即ち提婆が惡見の計を信用す。故に「隨順調達惡友之敎」と噵ふなり。
三に「收執父王」より下「一不得往」に至る已來は、正しく父の王、子の爲に幽禁せらるることを明す。此れ闍世提婆の惡計を取りて、頓に父子の情を捨つることを明す。直罔極の恩を失ふのみに非ず、逆の響茲に因て路に滿てり。忽に王身を掩ふを收と曰ひ、既に得て捨てざるを執と曰ふ。故に「收執」と名く。「父」と言ふは別して親の極を顯す。「王」といふは其の位を彰す。「頻婆」といふは其の名を彰す。「幽閉七重室内」と言ふは、所爲既に重し、事亦輕からず、淺く人間に禁じて全く守護無かるべからず、但王の宮閤理として外人を絶つとも、唯羣臣のみ有りて則ち久しきより來た承奉せるを以て、若し嚴制せずば恐らくは情通有らん。故に内外をして交を絶たしめて閉ぢて七重の内に在くなり。
四に「國大夫人」より下「密以上王」に至る已來は、正しく夫人密かに王に食を奉ることを明す。「國大夫人」と言ふは、此れ最大なることを明す。「夫人」と言ふは、其の位を標す。「韋提」と言ふは、其の名を彰す。「恭敬大王」と言ふは、