若し幽難に逢はずば佛僧を奉請するに難しと爲るに足らず。今既に囚はれて屈を致すに由無し。是を以て但目連を請じて八戒を受くるなり。 問て曰く。父の王遙かに敬ふには先づ世尊を禮し、其の受戒に及びては、即ち目連を請ずるもの、何の意か有るや。答て曰く。凡聖の極尊、佛に過ぎたるは無し。心を傾け願を發すには即ち先づ大師を禮す。戒は是小縁なり、是を以て唯目連の來り授けんことを請ふ。然るに王の意は、貴むこと得戒に存す。即ち是義周し、何ぞ勞はしく迂げて世尊を屈せんや。 問て曰く。如來の戒法は乃ち有ること無量なるに、父の王唯八戒を請ひて餘を請はざるや。答て曰く。餘戒は稍寬く、時節長遠なり。恐畏らくは中間に失念して生死に流轉せん。其の八戒は餘の佛經に説くが如し。在家の人出家の戒を持つなり。此の戒の持心、極細極急なり。何の意ぞ然るとならば、但時節稍促りて唯一日一夜を限りて作法して即ち捨つればなり。云何が此の戒の用心と行との細なりといふことを知る。戒の文の中に具に顯して云ふが如し。佛子今旦より明旦に至るまで、一日一夜、諸佛の殺生したまはざるが如く、能く持つや不や。答て言く。能く持つ。第二に又云く。佛子今旦より明旦に至るまで、一日一夜、諸佛の偸盜したまはず、婬を行ぜず、妄語せず、飮酒せず、脂粉を身に塗ることを得ず、歌儛唱伎し及び往いて觀聽することを得ず、高廣の大牀に上ることを得ざるが如くすべしと。此の上の八は是戒にして齋に非ず。中を過ぎて食することを得ず、此の一は是齋にして戒に非ず。此等の諸戒皆諸佛を引きて證と爲す。何を以ての故に。唯佛と佛とのみ正・習倶に盡きたまへるも、佛を除きて已還は惡習等由在り。是の故に引きて證と爲さず。是を以て此の戒の用心起行極めて是細急なりと知ることを得。又此の戒は佛八種の勝法有りと説きたまへり。若し人一日一夜具に持ちて犯さざれば、所得の功德、人・天・二乘の境界に超過す。經に廣く説くが如し。斯の益有るが故に、父の王をして日日に之を受けしむることを致す。