七には佛身無漏なれば、光も亦同じく然なり。豈有漏の天金を將て、之に比方せんといふことを明す。
四に「時韋提希見無量」より下「作禮」に至る已來は、正しく韋提は實に是垢凡の女質なり、言ふべきに足らず。但以聖力冥に加して、彼の佛現じたまふ時、稽首を蒙ることを得ることを明す。斯れ乃ち序には淨國に臨みて、喜歎以て自ら勝ふること無し。今は乃ち正しく彌陀を覩たてまつりて、更に益々心開けて忍を悟るなり。
五に「白佛言」より下「及二菩薩」に至る已來は、正しく夫人佛恩を領荷して、物の爲に疑を陳べて、後問を生ずることを明す。此れ夫人の意は、佛今現に在ませば、尊の加念を蒙りて彌陀を覩たてまつることを得るも、佛滅後の衆生は云何してか見たてまつるべきといふことを明す。
六に「未來衆生」より下「及二菩薩」に至る已來は、其の夫人物の爲に請を置たして、己に同じく見しむることを明す。
七に「佛告韋提」より下「當起想念」に至る已來は、正しく總告許説の言を明す。 問て曰く。夫人請を置たすには、己に通じて生の爲にす。如來の酬答に及至りては、但韋提を指して生に通ぜざるや。答て曰く。佛身化に臨みては、法を説きて以て機に逗ず。請はざるすら尚自ら普く弘めたまふ、何ぞ別指して等しく備らざることを論ぜん。但文略なるを以ての故に、兼ねて之が爲にすること無きも、心は必ず有るなり。
八に「七寶地上」より下「華想」に至る已來は、正しく觀の方便を敎ふることを明す。 問て曰く。衆生盲闇なり、想を逐ひて勞を增す。目に對ふるも冥きこと夜遊するが如し。遠く淨境を標するに、何に由てか悉すべき。答て曰く。若し衆生の惑障動念に望むれば、徒に自ら疲勞しなん。仰いで聖力の遙に加するを憑みて、所觀を皆見しむることを致す。云何が作法して心を住して見ることを得しむるや。作法せんと欲はば、諸の行者等、先づ佛像の前にして、心を至して所造の罪を懺悔し發露して、極めて慙愧を生じ、悲泣して涙を流せ。悔過すること既に竟りて、又心口に釋迦佛・十方恒沙等の佛を請じ、又彼の彌陀の本願を念じて言へ。弟子某甲等、