又經に依て變を畫き、寶樹・寶池・寶樓の莊嚴を觀想すれば、現生に無量億阿僧祇劫の生死の罪を除滅す。
又華座莊嚴觀に依て、日夜に觀想すれば、現生に念念に五十億劫の生死の罪を除滅す。
又經に依て像觀・眞身觀・觀音・勢至等の觀を觀想すれば、現生に念念の中に於て無量億劫の生死の罪を除滅す。
上の所引の如きは、並に是現生滅罪增上縁なり。
[五縁功德分 護念縁]
又護念增上縁と言ふは、即ち第十二の觀の中に説きて云ふが如し、若し人有りて一切の時處日夜、心を至して彌陀の淨土の二報莊嚴を觀想し、若しは見・不見、無量壽佛無數の化佛を化作し、觀音・大勢至亦無數の化身を作して、常に此の行人の所に來至したまふ。亦是現生護念增上縁なり。
又『觀經』の下の文の如し。(意)「若し人有りて心を至して常に阿彌陀佛及び二菩薩を念ずれば、觀音・勢至常に行人の與に、勝友知識と作りて、隨逐影護す」と。此れ亦是現生護念增上縁なり。
又第九の眞身觀に説きて云ふが如し。「彌陀佛は金色の身なり、毫相の光明徧く十方の衆生を照らす。身の毛孔の光、亦徧く衆生を照らす。圓光亦徧く衆生を照らす。八万四千の相好等の光、亦徧く衆生を照らす。又前の如きの身相等の光、一一に徧く十方世界を照らすに、但阿彌陀佛を專念する衆生有りて、彼の佛心の光常に是の人を照らして攝護して捨てたまはず。