總て餘の雜業の行者を照らし攝むと論ぜず」と。此れ亦是現生護念增上縁なり。
又『十往生經』(意)に説くが如し。「佛山海慧菩薩及以び阿難に告げたまはく、若し人有りて專ら西方の阿彌陀佛を念じて、往生を願ずる者は、我今より已去常に二十五の菩薩をして行者を影護せしめて、惡鬼・惡神をして行者を惱亂せしめず、日夜に常に安穩なることを得しめん」と。此れ亦是現生護念增上縁なり。
又『彌陀經』(意)に説くが如し。「若し男子・女人有りて、七日七夜、及び一生を盡して、一心に阿彌陀佛を專念して、往生を願ずる者は、この人常に六方恆河沙等の佛、共に來りて護念したまふことを得。故に護念經と名く」と。護念經の意は、亦諸の惡鬼神をして便を得しめず、亦橫病・橫死、橫に厄難有ること無く、一切の災障自然に消散するなり、至心ならざるを除く。此れ亦是現生護念增上縁なり。
又『般舟三昧經』(一卷本意)の行品の中に説きて云ふが如し。「佛跋陀和に告げたまはく。若し人有りて七日七夜、道場の内に在りて諸縁の事を捨て、睡臥を除去し、一心に阿彌陀佛の眞金色の身を專念して、或は一日・三日・七日、或は二七日・五・六・七七日、或は百日に至り、或は一生を盡くして、至心に觀佛し、及び口稱・心念すれば、佛即ち攝受したまふ。既に攝受を蒙る、定んで知んぬ、罪滅して淨土に生ずることを得べしと。佛言はく。若し人專ら此の念彌陀佛三昧を行ずれば、常に一切の諸天及び四天大王・龍神八部、隨逐影護し愛樂相見することを得て、永く諸の惡鬼神、灾障厄難もて橫に惱亂を加ふること無けん」と。具に護持品の中に説くが如し。此れ亦是現生護念增上縁なり。