其の相甚だ多し。今少分を明さば或は身の長一尺なるあり、或は身の量人の如きあり、或は千踰繕那なるあり、或は山の如きあり。『大集經』 或は鬼有り、鑊身と名く。其の身長大にして、人に過ぐること兩倍なり。面目有ること無く、手足は猶し鑊の脚の如し。熱火中に滿ちて、其の身を焚燒す。昔財を貪りて屠殺せし者、此の報を受く。或は鬼有り、食吐と名く。其の身廣大にして長半由旬なり。常に嘔吐を求むるに、困て得ること能はず。昔或は丈夫自ら美食を噉ひて妻子に與へず、或は婦人の自ら食ひて夫子に與へざりしもの、此の報を受く。或は鬼有り、食氣と名く。世人の病に依て、水の邊、林の中に祭を設くるに、其の香氣を臭ぎて、以て自ら活命する者なり。昔妻子等の前に於て、獨り美食を噉へる者、此の報を受く。或は鬼有り、食法と名く。嶮難の處に於て馳り走りて食を求む。色は黑雲の如く、涙の流るること雨の如し。若し僧寺に至らんに、人有りて咒願し、説法せん時、此に因て力を得て活命す。昔名利を貪るが爲に、不淨説法せし者、此の報を受く。或は鬼有り、食水と名く。飢渇身を燒き、周章して水を求むるに、困しみて得ること能はず。長髮面を覆ひ、目見る所無くして、河の邊に走り趣くに、若し人の河を渡るありて、脚足の下より遺落せる餘水あれば、速に疾く接し取りて、以て自ら活命す。或は人の水を掬みて、亡き父母に施すあらば、則ち少分を得て、命存立することを得。若し自ら水を取らんとすれば、水を守る諸の鬼、杖を以て撾打す。昔酒を沽るに水を加へ、或は蚓・蛾を沈めて、善法を修せざりし者、此の報を受く。或は鬼有り、悕望と名く。世人の亡き父母の爲に祀を設くる時、得て之を食ふ。餘は悉く食すること能はず。若し人勞して少物を得たるを、誑惑して之を取り用ひし者、此の報を受く。或は鬼有り、海渚の中に生る。樹林・河水有ること無く、其の處甚だ熱し。彼の冬の日を以て人間の夏に比ぶるに、過ぎ踰えたること千倍なり。唯朝の露を以て、自ら活命す。海渚に住すと雖も、海は枯竭せりと見る。昔行路の人、病苦に疲れ極まれるに、其の賈を欺き取りて直を與ふること薄少なりし者此の報を受く。或は鬼有り、常に塚の間に至りて、