病僧音を聞きて苦惱即ち除こり淸凉の樂を得、三禪に入るが如くにして淨土に乘生せり。況や復雪山の大士は、全身を捨てて此の偈を得たり。行者善く思念せよ。之を忽爾にすることを得ざれ。説の如く觀察して、當に貪・瞋・癡等の惑業を離るること、師子の人を追ふが如くすべし。外道の無益の苦行を作して癡狗の塊を追ふが如くすべからず。 問。不淨・苦・無常は、其の義了り易し。現に法體有るを見る、何ぞ説きて空と爲るや。答。豈『經』
(金剛經)に説かずや、「夢幻化の如し」と。故に夢の境に例して、當に空の義を觀ずべし。『西域記』
(卷七)に云ふが如し。「婆羅痆斯國の、施鹿林の東、行くこと二三里にして、涸ける池有り。昔一の隱士有りて、此の池の側に於て蘆を結び迹を屏し、博く伎術を習ひて神理を究極し、能く瓦礫をして寶と爲し、人畜をして形を易へしむ。但し未だ風雲に馭りて仙駕に陪ること能はず。圖を

し古を考へて、更に仙術を求めんとす。其の方に曰く。二の烈士に命じて、長刀を執りて壇の隅に立ち、息を屏し言を絶ちて、昏より旦に逮ばしめよ。仙を求むる者は中壇に坐し、手に長刀を接り、口に神咒を誦し、視を收め聽を反めば、明を遲ちて仙に登らんと。遂に仙の方に依て一の烈士を求め、數々重き貽を加へて、潛に陰德を行ふ。隱士曰く、願はくは一夕聲せざらんのみと。烈士曰く、死も尚辭せず。豈徒息を屏さんをやと。是に於て壇場を設け、仙法を受くること、方に依て事を行ふ。坐して日の曛るることを待つ。曛暮の後、各々其の務を司る。隱士は神咒を誦し、烈士は鉛刀を按ず。殆と將に曉けならんとす、忽に聲を發して叫ぶ。時に隱士問て曰く、子を誠めて聲すること無からしむ、何を以てか驚き叫べると。烈士曰く、命を受けて後夜分に至るに、惛然として夢の如く變異更に起れり。昔事へし主、躬ら來りて慰謝するを見たれども、厚恩を感荷して、忍びて報語せざりき。彼の人震怒して、遂に害殺せられ中陰の身を受けたり。屍を顧みて嘆惜したるも、猶願はくは世を歴るも、言はずして以て厚德に報いんと。遂に南印度の大婆羅門の家に託生せらる。乃至胎を受け、胎を出で、備に苦厄を經れども、恩を荷ひ德を荷へば、嘗て聲を出さざりき。業を受け冠婚し、親を喪ひ子を生むに洎びても、