此の身も亦是の如し、雜穢其の中に滿てり。骨の機關を運動するに、危脆にして堅實にあらず。愚夫は常に愛樂すれども、智者は染著すること無し。洟・唾・汗は常に流れ、膿血恒に充滿せり。黄脂乳汁に雜り、腦髑髏の中に滿つ。胸膈には痰癮流れ、内には生熟の藏有り。肪膏と皮膜と、五藏の諸の腹胃と、是の如きの臰爛等の諸の不淨と同じく居す。罪の身は深く畏るべし、此れ即ち是怨家なり。無識耽欲の人は、愚癡にして常に保護すれども、是の如きの臰穢の身は、猶し朽ちたる城廓の如し。日夜煩惱に逼められ、遷流して暫くも停ること無し。身の城、骨の墻壁、血肉もて塗泥と作し、畫彩の貪・瞋・癡、處に隨ひて莊飾せり。惡むべし骨身の城、血肉相連合し、常に惡知識に内外の苦もて相煎せらる。難陀、汝當に知るべし、我が所説の如く、晝夜常に念を繋け、欲の境を思ふこと勿れ。若し遠離せんと欲はん者は、常に是の如きの觀を作し、解脱の處を勤求せば、速に生死の海を超えん」と。已上 諸の餘の利益は、『大論』・『止觀』等を見るべし。
[二、欣求淨土]
大文第二に欣求淨土とは、極樂の依正は功德無量にして、百劫・千劫に説かんも盡すこと能はず。算分・喩分も、亦知る所に非ず。然に『群疑論』には三十種の益を明し、『安國抄』には二十四の樂を摽す。既に知る、稱揚は只人の心に在ることを。今十の樂を擧げて淨土を讃ぜんに、猶し一毛もて大海を渧らすが如し。一には聖衆來迎の樂、二には蓮華初開の樂、三には身相神通の樂、四には五妙境界の樂、五には快樂無退の樂、六には引接結縁の樂、七には聖衆倶會の樂、八には見佛聞法の樂、九には隨心供佛の樂、十には增進佛道の樂なり。
[二、欣求淨土 聖衆來迎]
第一に聖衆來迎の樂とは、凡そ惡業の人の命盡くる時は、風・火先づ去るが故に動熱して苦多し。善行の人の命盡くる時は、