皆五通を具して妙用測り難く、心に隨ひて自在なり。若し十方界の色を見んと欲せば、歩を運ばずして即ち見、十方界の聲を聞かんと欲せば、座を起たずして即ち聞く。無量の宿命の事は、今日聞く所の如く、六道の衆生の心は、明鏡に見はらる像の如し。無央數の佛刹は、咫尺の如く往來す。凡て橫に百千万億那由他の國に於けるも、竪に百千万億那由他の劫に於けるも、一念の中にして、自在無碍なり。今此の界の衆生は、三十二相に於て、誰か一相を得たる、五神通に於て、誰か一通を得たる。燈日に非ずんば以て照らすこと無く、行歩に非ずんば以て至ること無し。一紙と雖も其の外を見ず、一念と雖も其の後を知らず。焚籠未だ出でず、事に隨ひて碍有り。而るに彼の土の衆生は、一人として此の德を具せざるもの有ること無し。百大劫の中に於て、而も相好の業をも種ゑず、四靜慮の中に於て、而も神通の因をも修せざれども、只是彼の土の任運生得の果報なり。亦樂しからずや。多く『雙卷經』『平等覺經』等に依る 龍樹の『偈』(十住毗婆沙論卷五易行品)に云く。「人天の身相同じくして、猶し金山の頂の如し。諸勝の所歸の處なり。是の故に頭面に禮したてまつる。其れ彼の國に生るること有らんものは、天眼・耳通を具して、十方に普く無碍なり。聖中の尊を稽首したてまつる。其の國の諸の衆生は、神變と及び心通と亦宿命智とを具す。是の故に歸命し禮したてまつる」と。
往生要集 卷一上本 終