[二、欣求淨土 引接結縁]
第六に引接結縁の樂とは、人の世に在るに求むる所意の如くならず。樹靜かならんと欲すれども風停まず、子養はんと欲すれども親待たず、志肝膽を舂くと雖も力水菽に堪へず。君臣・師弟・妻子・朋友、一切の恩所、一切の知識も、皆亦是の如し。空しく癡愛の心を勞して、彌々輪廻の業を增す。況や復業果推遷し、生處相隔つれば六趣・四生何れの處なるを知らず。野獸、山禽、誰か舊親を辨ぜん。『心地觀經』(卷三)の偈に云ふが如し。「世人子の爲に諸の罪を造り、三途に墮在して長く苦を受くれども、男女聖に非ざれば神通無く、輪廻を見ざれば報ゆべきこと難し。 有情輪廻して六道に生ずること、猶し車輪の始終無きが如し。或は父母と爲り男女と爲りて、世世生生に互ひに恩有り」と。若し極樂に生ぜば、智惠高明にして神通洞達し、世世生生の恩所・知識、心に隨ひて引接せん。天眼を以ては生處を見、天耳を以ては言音を聞き、宿命智を以ては其の恩を憶ひ、他心智を以ては其の心を了り、神境通を以ては隨逐變現し、方便力を以ては敎誡示道せん。『平等經』(卷一・二意)に云ふが如し。「彼の土の衆生は、皆自ら其の前世に從來せし所の生を知り、及び八方・上下、去・來・現在の事を知り、彼の諸天・人民、蠉飛・蠕動の類の、心意に念ふ所、口に言はんと欲する所を知る。何れの歳何れの劫にか、此の國に生れ菩薩の道を作して阿羅漢を得べしといふことも、皆豫め之を知る」と。又『華嚴經』(四十華嚴卷四〇)の普賢の願に云く。「願はくは我命終せんと欲する時に臨みて、盡く一切の諸の障礙を除き、面り彼の佛阿彌陀を見たてまつり、即ち安樂刹に往生すること得ん。我既に彼の國に往生し已れば、現前に此の大願を成就せん。一切圓滿して盡く餘すこと無く、一切衆生界を利樂せん」と。無縁すら尚爾り、況や結縁をや。龍樹の『偈』(天親淨土論)に曰く。「無垢莊嚴の光、一念及び一時に、普く諸佛の會を照らし、諸の群生を利益す」と。