三には水鳥・樹林・風鈴等の聲は、常に念佛・念法・念僧の心を生ぜしむるが故に。四には純ら諸の菩薩以て善友と爲り、外に惡縁無く内に重惑を伏するが故に。五には壽命永劫にして、佛と共に齊等なれば、佛道を修習するに、生死の間隔有ること無きが故に。『華嚴』の偈(唐譯卷二)に云く。「若し衆生有りて、一び佛を見たてまつれば必ず諸の業障を淨除せしめん」と。一び見たてまつるすら尚爾なり。何に況や常に見たてまつらんをや。此の因縁に由て、彼の土の衆生は、所有の万物に於て、我・我所の心無く、去來進止、心に係る所無し。諸の衆生に於て大悲心を得、自然に增進して無生忍を悟り、究竟して必ず一生補處に至る。乃至速に無上菩提を證す。衆生の爲の故に八相を示現し、縁に隨ひ嚴淨の國土に在りて、妙法輪を轉じて、諸の衆生を度す。諸の衆生をして其の國を欣求せしむること、我今日、極樂を志願するが如くならしむ。亦十方に往いて衆生を引接すること、彌陀佛の大悲の本願の如し。是の如きの利益、亦樂しからずや。一世の勤修は是須臾の間なり、何ぞ衆事を棄てて淨土を求めざるや。願はくは諸の行者、努力して懈ること匪れ。多く『雙卷經』并びに天台『十疑』等の意に依る 龍樹の『偈』(十二願意)に云く。「彼の尊の無量の方便の境には、諸趣・惡知識有ること無し。往生しぬれば不退にして菩提に至る。故に我彌陀佛を頂禮したてまつる。我彼の尊の功德の事を説くに、衆善無邊にして海水の如し。獲る所の善根淸淨なれば、願はくは衆生と共に彼の國に生ぜん。願はくは諸の衆生と共に安樂國に往生せん」と。
[三、極樂證據]
大文第三に、極樂の證據を明さば、二有り。一には十方に對し、二には兜率に對す。
[三、極樂證據 對十方]
初めに十方に對すとは、 問。十方に淨土有り、何ぞ唯極樂にのみ生ぜんと願ふや。答。天台大師(十疑論意)云く。「諸の經論は、處處に唯衆生を勸めて、偏に阿彌陀佛を念じ、西方極樂世界を求めしめたり。無量壽經・觀經・往生論等の、