一切の法門、一切の佛德に於て、此の四種の願行を發せ。 問。何れの法の中に於てか無上道を求むるや。答。此に利鈍の二の差別有り。『大論』(卷三二)に云ふが如し。「黄石の中には金の性有り、白石の中には銀の性有るが如し。是の如く一切世間の法の中には、皆涅槃の性有り。諸佛・賢聖は智惠・方便・持戒・禪定を以て引導して、是の涅槃の法性を得しめたまふ。利根の者は、即ち是の諸法は皆是法性なりと知ること、譬へば神通の人の能く瓦石を變じて皆金と爲さしむるが如し。鈍根の者は、方便分別して之を求めて、乃ち法性を得ること、譬へば大冶の石を鼓ちて然して後に金を得るが如し」と。已上 又(智度論卷六)云く。「苦行頭陀し、初中後夜に懃心に觀禪して、苦しみて道を得るは聲聞の敎なり。諸法の相は無縛無解なりと觀じて、心淸淨なることを得るは菩薩の敎なり。文殊師利の本縁の如し」。已上 即ち『無行經』の喜根菩薩の偈を引きて云く、(智度論卷六)「婬欲は即ち是道なり、恚・癡も亦是の如し。此の如きの三事の中に、無量の諸佛の道あり。若し人有りて、婬・怒・癡と及び道とを分別すれば、是の人は佛道を去ること、譬へば天と地との如し」と。是の如く七十餘の偈有り。又同じき『論』(智度論)に云く。「一切法の不可得なる、是を佛道と名く。即ち是諸法の實相なり。此の不可得も亦不可得なり」と。略抄 又迦葉菩薩佛に白して言さく。(北本涅槃経卷三・南本涅槃経卷三)「一切諸法の中に、悉く安樂の性有り。唯願はくは大世尊、我が爲に分別して説きたまへ」と。又『般若經』(卷五七八)に云く。「一切の有性は皆如來藏なり。普賢菩薩自體徧の故に」と。『法句經』に云く。「諸佛は貪瞋に依て道場に處したまふ。塵勞は諸佛の種なり。本來所動無し、五葢及び五欲を諸佛の種性と爲す。常に是を以て莊嚴せり。本來所動無し、諸法は本來より是も無く亦非も無し。是非の性は寂滅し、本來所動無し」と。已上六文、是利根人の菩提心のみ 問。煩惱菩提、若し一體ならば、唯應に意に任せて惑業を起すべきや。