此の光に遇ふ者は聲聞の意を發す。是の諸の聲聞、此の光明を見るに、分れて十支と爲り、一支ごとに千の色、十千の光明あり。光ごとに化佛有ます。一一の化佛に四の比丘有りて、以て侍者と爲る。一一の比丘は皆苦・空・无常・无我を説く。已上三種、廣觀を樂ふ者、應に之を用ふべし  二十には世尊の肩項は圓滿にして殊妙なり。『法華文句』(卷八下意)に云く。「恒に施を增長せしむるが故に此の相を得」と  二十一には如來の腋の下は、悉く皆充實せり、紅紫の光を放ち、諸の佛事を作して、衆生を利益す。『無上依經』(卷下意)に云く。「衆生の中に於て利益事を爲し、四正勤を修して、心に畏るる所无くして、兩肩平整にして腋下滿の相を得」と。  二十二には佛の雙の臂肘は明直圓にして象王の鼻の如く、平に立つときは膝を摩す。或は次に應に廣く觀ずべし。手掌に千輻の理ありて、各々百千の光を放ち、遍く十方を照らし、化して金水と成る。金水の中には一の妙水有りて、水精の色の如し。餓鬼見れば熱を除き、畜生は宿命を識る。狂象見れば師子王と爲り、師子は金翅鳥と見、諸龍は亦金翅鳥王と見る。是の諸の畜生は各々所尊と見、心に恐怖を生じて合掌し恭敬す。恭敬するを以ての故に、命終して天に生ず。『大集經』(卷六)に云く。「怖畏あるを救護す、臂の肘なること得。他の事業を見て佐助するが故に、手摩膝の相を得」と  二十三には諸の指圓滿し、充密纖長にして甚だ愛樂すべし。一一の端に、各々万字を生なす。其の爪光潔にして花赤銅の如し。『瑜伽』(卷四九意)に云く。「諸の尊長に於て、恭敬禮拜し合掌起立するが故に、指纖長の相を得」と  二十四には一一の指の間は、猶し雁王の如く、咸く鞔網有り。金色交絡して文綺畫に同じ。閻浮金に勝れること百千万億なり。其の色明達にして眼界に過ぎたり。張れる時には則ち見え、指を斂むるときは見えず。『大集經』(北本卷二八・南本卷二六意)に云く。「四攝の法を修して、衆生を攝取せるが故に、此の相を得」と  二十五には其の手柔軟なること覩羅綿の如く、一切に勝過して内外に倶に握る。『大集經』(北本卷二八・南本卷二六)に云く。「父母・師長の若し病苦するに、自ら手を洗い拭ひ、捉持安摩せるが故に、手軟の相を得」と  二十六には世尊の頷・臆、并びに身の上半の威容廣大なること師子王の如し。『瑜伽』(卷四九意)に云く。「諸の有情の如法の所作に於て能く上首たれども、助伴と作りて我慢を離れ、諸の儣悷无きが故に、此の相を得」と  二十七には胸に万字有り。