實相の印と名け、大光明を放つ。或は次に應に廣く觀ずべし。光の中に无量百千衆の花有りて、一一の花の上に无量の化佛有ます。是の諸の化佛に、各々千の光有りて衆生を利益し、乃至遍く十方の佛の頂に入る。時に諸佛の胸より百千の光を出し、一一の光六波羅密を説く。一一の化佛は、一化人の端正微妙にして状彌勒の如きを遣はして、行者を安慰せしむ。
此の相の光を見る者は十二億劫の生死の罪を除く 二十八には如來の心の相は、紅蓮華の如し。妙なる紫金の光、以て間錯を爲して、瑠璃の筒の如くに懸りて佛の胸に在り。合せず開せず團圓なること心の如し。万億の化佛、佛の心の間に遊びたまふ。又无量塵數の化佛、佛の心の中に在まして、金剛臺に坐し无量の光を放ちたまふ。一一の光の中に、亦无量塵數の化佛有まして、廣長の舌を出し、萬億の光を放ち諸の佛事を作したまふ。
佛心を念ずる者は十二億劫の生死の罪を除く。生生に无量の菩薩に値ふことを得と云云。廣觀を樂ふ者は應に此の觀を作すべし 二十九には世尊の身皮は、皆眞金色なり。光潔晃耀にして妙金臺の如し。衆寶もて莊嚴し、衆の見んと樂ふ所なり。
『大經』(北本卷二八・南本卷二六意)に云く。「衣服臥具を施し、此の相を得」と 三十には身の光任運に三千界を照らす。若し作意する時は无量无邊なり。然るに諸の有情を憐愍せんが爲の故に光を攝めて常に照らしたまふこと面ごとに各々一尋なり。
『大經』(北本卷二八・南本卷二六意)に云く。「香華燈明等を以て人に施し、此の相を得」と云云。大光を觀ずる者は、但心見を發するに、衆罪を除却す 三十一には世尊の身の相は、修廣にして端嚴なり。
『大論』(卷二九)に云く。「尊長を恭敬し迎送し侍遶するに、身直廣の相を得」と 三十二には世尊の躰の相は縱廣量等しくして周匝圓滿せること、尼
陀樹の如し。
『大集經』(卷六)に云く。「常に衆生を勸めて三昧を修むるに、此の相を得」と。『報恩經』(卷七)に云く。「若し衆生有りて、四大不調を能く療治することを爲すが故に、身方圓の相を得」と 三十三には世尊の容儀は洪滿にして端直なり。
『瑜伽』(卷四九)に云く。「疾病の者に於て、卑屈瞻侍し、良藥を給施するが故に、身不僂曲の相を得」と 三十四には如來の陰藏は平かなること滿月の如し。金色の光有りて、猶し日輪の如し。金剛の器の如く、中外倶に淨し。
『大經』(北本卷二八・南本卷二六)に云く。「裸なるを見て衣服を施すが故に、陰藏の相を得」と。『大集經』(卷六)に云く。「他の過を覆藏するが故に」と。『大論』(卷二九意)に云く。「亦慙愧を修し及び邪婬を斷ずるが故に」と。道禪師(觀念法門)の云く。「佛言く。若し多く欲色に貪する者、即ち如來陰藏の相を想へば、欲心即ち止み、罪障除滅して无量の功德を得」と