三十五には世尊の兩足、二手の掌中、項及び雙肩の七處は充ち滿ちたり。『大經』(北本卷二八・南本卷二六)に云く。「施を行ずる時は珍しき所の物を能く捨てて恡かず、福田及び非福田を視ざるに、七所滿の相を得」と  三十六には世尊の雙の腨は、漸次に纖圓なること、翳泥耶仙鹿王の腨の如し。膊の鉤璅の骨、盤結せる間より諸の金光を出す。『瑜伽』(卷四九)に云く。「自ら正法に於て實の如く攝受し、廣く他の爲に説き、及び正しく他の爲に善く給使を作すに、翳泥耶膊の相を得」と  三十七には世尊の足跟は、廣長にして圓滿し、趺と相稱ひて諸の有情に勝れたり。 三十八には足の趺は修高なること、猶し龜の背の如し。柔軟妙好にして、跟と相稱へり。『瑜伽』(卷四九意)に云く。「足下平滿・千輻輪・纖長指の三相を感ずる業、總じて能く跟跌の二相に感得す。是前の三相の依止する所なるが故に」と  三十九には如來の身には、前後左右、及以び頂の上に、各々八万四千の毛有りて生え、柔潤紺靑にして右に旋りて宛轉せり。或は次に應に廣く觀ずべし。一一の毛端に百千万の塵數の蓮華有り、一一の蓮華に无量の化佛を生じ、一一の化佛は諸の偈頌を現じて、聲聲相次げること猶し雨の渧の如し。『无上依經』(卷下)に云く。「諸の勝善の法を修すること、中下品无く、恒に增上せしめるに、身毛上靡右旋宛轉の相を得」と。『優婆塞戒經』(卷一)に云く。「智者に親近し、聞くを樂ひ論を樂ひ、聞き已りて修を樂ひ道路を治し棘刺を除失するを樂ふるが故に」と  四十には世尊の足の下には千輻輪の文あり。網轂衆相、圓滿せずといふこと无し。『瑜伽』(卷四九)に云く。「其の父母に種種に供養し、諸の有情の諸の苦惱の事に於て種種に救護して、往來等の動轉の業に由るが故に、此の相を得」と云云。千輻輪の相を見るは、千劫の極重惡業を除却す  四十一には世尊の足の下には平滿の相有り。妙善安住せること猶し奩底の如し。地は高下なりと雖も足の蹈む所に隨ひて、皆悉く怛然にして等しく觸れずといふこと无し。『大經』(北本卷二八・南本卷二六)に云く。「持戒して動ぜず、施心して移らず、實語に安住するが故に、此の相を得」と云云。其の足柔軟、諸の指纖長、輓網具足し、内外握等の相、及び業因、前の手相に同じ  四十二には廣きを樂ふ者は應に觀ずべし。足の下及び跟に、各々一花を生じ、諸の光を圍遶して十匝を滿足せり。花花相次ぎ、一一の花の上には五の化佛有ます、一一の化佛は五十五の菩薩を以て侍者と爲せり。一一の菩薩の頂には摩尼珠の光を生ず。