自他同じく無上の菩提を證して、未來際を盡くすまで衆生を利益し、其三 法界に廻施して、其四 大菩提に廻向するなり。其五 問。未來の善根は未だ有らず、何を以てか廻向せん。答。『華嚴經』(唐譯卷二四意)に、第三廻向の菩提の行相を説きて云く。「三世の善根を以て、而も所着無く、相無く相を離れて悉く以て廻向す」と。『刊定記』に二の釋有り。一には未來の善根は、未だ有らずと雖も、今若し發願すれば願薰じて種を成じ、攝持する力の故に、未來の所修任運に衆生と菩提とに注ぎ向け、更に廻向を待たずと。二には此の敎の中に依れば、菩薩の乃至一念の善を修するも、法性を攝するが故に九世に遍ず、故に彼の善根を用て廻向すとなり。 問。第二を何ぞ薩婆若相應の心と名くるや。答。『論』(智度論卷四九)に云く。「阿耨菩提の意は、即ち是薩婆若に應ずる心なり。應とは心を繋けて我當に作佛すべしと願ずるなり」と。 問。第三と第四とは、何が故ぞ要ず一切衆生と共にし、及以び无上菩提に廻向するや。答。『六波羅密經』(卷四)に云く。「云何ぞ少施の功德多なるや。方便力を以て、少分の布施もて廻向し發願すらく、一切衆生と與に同じく无上正等菩提を證せんと。是を以て功德の无量无邊なること、猶し小雲の漸く法界に遍ずるが如し」乃至、一華一菓を以て施するも亦爾なり。『大論』の意亦之に同じ 『寶積經』四十六に云く。「菩薩摩訶薩は、所有已生の諸の妙善根を、一切无上菩提に廻向し、此の善根をして畢竟じて无盡ならしむ。譬へば小水を大海に投るるに、乃至劫燒の中にも盡くること有ること无きが如し」と。又『大莊嚴論』の偈(諸經要集卷一所引大菩薩藏經?)に云く。「施を行ぜんには妙色財を求めず、亦天人の趣を感ぜんことを願ぜざれ。專ら无上の勝菩提を求むれば、施は微きも便ち无量の福を感ぜん」と。已上 故に諸の善根を以て、盡く佛道に廻向するなり。又『大論』(卷四九)に云く。「譬へば慳貪の人、因縁无くんば乃至一錢をも施さず、貪慳積聚して、但增長せんことを望むが如し。菩薩も亦是の如し。福德の若しは多き若しは少き、