或は三途の苦果を以て淨土の功德に比して、應に是の念を作すべし。我已に惡道にして多劫を經しに、无利の勤苦すら尚能く超えき。小行を修行して菩提の大利を得んには、應に退屈を生すべからずと。惡趣の苦、淨土の相、一一に前の如し 或は淨土に往生する衆生を縁じて、應に是の念を作すべし。十方世界の諸の有情、念念に安樂國に往生す。彼既に丈夫なり、我も亦爾なり。應に自ら輕しめて退屈を生ずべからずと。往生の人は下の利益門料簡門の如し 或は應に佛の奇妙の功德を縁ずべし。 問。何等の功德なるや。答。其の事无邊なり、略して其の要を擧げん。一には應に四十八の本願を思念すべし。又『无量淸淨覺經』(迦才淨土論卷下所引)に云く。「阿彌陀佛、觀世音・大勢至と與に、大願の船に乘じて、生死の海に汎び、此の娑婆世界に就て、衆生を呼喚して大願の船に上らしめ、西方に送り著けたまふ。若し衆生の肯ひて大願の船に上る者は、並に皆去くことを得ん」と。此は是往き易きなり。『心地觀經』(卷一)の偈に云く。「衆生は生死海に沒在し、五趣に輪廻して、出づる期无し。善逝は恒に妙法の船と爲り、能く愛流を截りて、彼岸に超えしめん」と。應に念ふべし、我何れの時にか悲願の船に乘じて去かんと。 二には名號の功德なり。『維摩經』(卷下)に言ふが如し。「諸佛は色身の威相・種性・戒・定・智慧・解脱・知見・力・无所畏・不共の法・大慈大悲・威儀・所行、及び其の壽命、説法敎化し、衆生を成就し、佛の國土を淨め、諸の佛法を具するは、悉く皆同等なり。是の故に名けて三藐三佛陀と爲し、名けて多陀阿伽度と爲し、名けて佛陀と爲す。阿難、若し我廣く此の三句の義を説かば、汝劫壽を以てすとも盡く受くること能はず。正使ひ三千大千世界の、中に滿てらん衆生をして、皆阿難の如く、多聞第一にして、念總持を得しむとも、此の諸の人等、劫の壽を以てすとも、亦受くること能はず」と。『要決』に云く。「維摩經に云く。佛の初の三号を、佛若し廣く説かば、阿難は劫を經とも領受すること能はずと。成實論に佛の号を釋するに、