『華嚴』(唐譯卷四)の偈に云く。「淸淨の慈門刹塵の數、共に如來の一妙相を生ず。一一の諸相然らずといふこと莫し。是の故に見たてまつる者厭足無し」と。應に是の念を作すべし。願はくは我當に佛の無邊の功德の相を見たてまつらんと。 四には光明威神なり。謂く『平等覺經』(卷一)に云く。「無量淸淨 無量淸淨佛は是阿彌陀佛なり の光明は最尊第一にして比无し、諸佛の光明の皆及ばざる所なり。有る佛の頂の光明は七尺を照らし、有る佛は一里を照らし、有る佛は五里、有る佛は二十里・四十里・八十里、乃至百万の佛國、二百万の佛國なり。八方・上下、無央數の諸佛の頂の光の照らしたまふ所、皆是の如し。無量淸淨佛の頂の中の光明は、千万の佛國を炎照したまふ」と。已上取意、私に云く。『觀經』に云く。「彼の佛の圓光は百億大千界の如し」と。此の經は云く。「頂の中の光、千万の佛國を照らす」と。二經の意、同じならくのみ 『雙卷經』(大經卷上)に云く。「無量壽佛の威神光明、最勝第一にして、諸佛の光明の及ぶこと能はざる所なり。或は佛光の百佛世界を照らす有り、或は千佛世界なり。要を取りて之を言はば、乃ち東方恒河沙の佛刹を照らす。南西北方・四維・上下も亦復是の如し。是の故に無量壽佛は無量光佛・無邊光佛・無碍光佛・無對光佛 玄一師(大經記卷上)の云く。「與に等しきもの无きが故に」と ・炎王光佛 一師(大經記卷上)の云く。「最勝自在なるが故に」と ・淸淨光佛 一云く。「三垢を滅するが故に」と。憬興師(大經述文賛卷中)の云く。「无貪の善根の所生なるが故に」と ・歡喜光佛 一云く。「遇ふ者悅意するが故に」と。興云く。「无瞋所生なるが故に」と ・智惠光佛 一云く。「智惠所發なるが故に」と。興云く。「无癡所生なるが故に」と ・不斷光佛 一云く。「恒相續の故に」と 難思光佛・無稱光佛 一云く。「稱嘆して其の所有を盡すべからざるが故に」と。自餘の名義は知るべし、煩しくは記さず ・超日月光佛と号す。若し三途勤苦の處に在りて、此の光明を見れば、復苦惱無けん。壽終へて後、皆解脱を蒙る。但我のみ今其の光明を稱するに非ず、一切の諸佛も亦復是の如し。若し衆生有りて、