亦如來を禮敬し親近したてまつると名く。實に有情を能く利益せんが爲なり」と。『大般若』(卷五七四) 『占察經』下卷に、地藏菩薩云く。「一實の境界とは、謂く衆生の心體本已來より、不生・不滅、自性淸淨にして、无障无碍なること、猶し虚空の如し。分別を離れたるが故に、平等に普遍して至らざる所无く、十方に圓滿す。究竟して一相にして二无く別无し。不變不異にして、增无く減无し。一切衆生の心、一切聲聞・辟支佛の心、一切菩薩の心、一切の諸佛の心は、皆同じく不生・不滅、无染寂靜の眞如の相なるを以ての故なり。所以は何ん、一切の心有りて分別を起すは、猶し幻化の如く、定實有ること无し。乃至 一切の世界に心の形状を求むるに、一區分として而も得べき者无し。但衆生の无明癡闇の勳習する因縁を以て、妄に境界を現じて、念著を生ぜしむ。所謂此の心、自ら无なりと知ること能はずして、妄に自ら有と謂ひ、覺知の想を起して、我・我所を計す。而も實には覺知の想有ること無きなり。此の妄心は畢竟じて躰無く、不可見なるを以ての故に」と。乃至廣説、信解を以て此の理を觀念することを、菩薩の最初の根本業と爲すなり 此の一實境界は、即ち是如來の法身なり。『華嚴經』(唐譯卷一六)に一切慧菩薩の偈に云く。「法性は本より空寂にして、取るべきも无く亦見るべきも无し。性空なるは即ち是佛なり。思量することを得べからず」と。已上 應に念ずべし、我何れの時にか本有の性を顯すことを得んと。 十九には總觀佛德なり。普賢菩薩の云ふが(四十華嚴經卷四〇)如し。「如來の功德は、假使ひ十方の一切の諸佛、不可説佛不可説佛の佛刹を經て、極微塵數の劫相續して演説すとも、窮め盡くすべからず」と。已上 又阿彌陀佛の、威神極無きことは、『雙卷經』(大經卷下)に云ふが如し。「無量壽佛の威神極无し。十方世界无量无邊不可思議の諸佛如來、稱歎せざるは莫し」と。龍樹の『偈』(十住毗婆沙論卷一二)に云く。「世尊の諸の功德は、度量することを得べからず。人の尺寸を以て空を量らんに盡すべからざるが如し」と。