是の時彼の佛當に汝等が爲に阿耨菩提の記を授けたまふべし。時に諸の菩薩、佛の所説を聞きて、擧身の毛竪ち、深く憂悔を生じて、便ち自ら涙を收め白して言さく。我今日より未來際に至るまで、若し菩薩乘の人に於て、違犯有るを見て其の過を擧げ露さば、我等即ち如來を欺誑したてまつると爲ん。我今日より未來際に至るまで、若し在家・出家の菩薩乘の人、欲樂を以て遊戲し歡娯するを見んも、終に其の過を伺求せずして、常に信敬を生じて、敎師の想を起さん。我今日より未來際に至るまで、若し善能く其の身を摧伏せずして、下劣の想を生ずること旃陀羅及び狗犬の如くならば、則ち如來を欺誑したてまつると爲ん。若し持戒・多聞・頭陀・少欲・知足の一切の功德に於て、身自ら炫曜せば則ち如來を欺誑したてまつると爲ん。修する所の善本をば自ら矜伐せず、所行の罪業は慙愧し發露せん。若し爾らずば、如來を欺誑したてまつると爲んと。時に佛讃じて言はく。善いかな、善いかな。則ち是の如き決定の心を以てせば、一切の業障皆悉く消滅し、无量の善根は亦當に增長すべし」と。略抄 是の故に『大論』(卷一)の偈に云く。「自ら法を愛染するが故に、他人の法を毀訾すれば、持戒の行人なりと雖も地獄の苦を脱れず」と。已上嫉妬 同じき『論』(卷一五)の偈に云く。「馬・井の二比丘は懈怠にして惡道に墮せり。佛を見法を聞くと雖も、猶亦自ら勉ず」と。已上 又若し精進すること无くば行成就し難し。故に『華嚴經』(唐譯卷一三)の偈に云く。「鑽燧して火を求むるが如し、未だ出でざる數々息まば火勢隨ひて止滅す。懈怠の者も亦然なり」と。已上精進。 讀誦大乘の功德无量なること、『金剛般若論』(卷上)の偈に云ふが如し。「福は菩提に趣かざれども、二は能く菩提に趣く。 實に於ては了因と名け、餘に於ては生因と名く」と。已上『觀佛經』六種の法畢りぬ。彼の經に嫉恚精進具に之を説かず。故に餘文を以て經意を釋成す 『般舟經』に亦十事有り。彼の『經』(般舟經卷下)に云ふが如し。「若し菩薩有りて、是の三昧を學誦せんには、十事有り。一には他人の利養を嫉妬せざれ。二には悉く當に人を愛敬し長老に孝順すべし。