三には當に報恩を念ふべし。四には妄語せずして非法を離れよ。五には常に乞食して請を受けざれ。六には精進して經行せよ。七には晝夜に臥出すること得ざれ。八には常に布施せんことを欲して終に惜しみ悔ゆること无れ。九には深く惠の中に入りて着する所无れ。十には善師に敬事すること佛の如くせよ」と。略抄  問。『般舟經』にも亦四四十六法の種有り。『十住婆沙』の第九には百四十餘種の法有り。『念佛三昧經』には種種の法有り。又『華嚴經』(唐譯卷八〇)の入法界品の偈に云く。「若し信解して憍慢を離るること有るものは、發心して即ち如來を見たてまつることを得るも、若し諂誑不淨の心有るものは、億劫に尋ね求むとも値遇すること莫けん」と。『觀佛經』(卷一〇)に云く。「晝夜六時に、六法を勤行し、端坐正受して當に小語を樂ふべし。經を讀誦し廣く法敎を演ぶるを除きては、終に无義の語を宣説せざれ。常に諸佛を念じて心心相續せよ。乃至一念の間も佛を見たてまつらざる時有ること无し。心專精なるが故に佛日を離れず」と。又『遺日摩尼經』に説かく。「沙門の牢獄に墮するに多の事有り。或は人を求めて供養を得んと欲し、或は多く衣鉢を積まんと欲し、或は白衣とに厚善し、或は常に愛欲を念ひ、或は憙みて知友と交結す」と。文に多法有り、略抄  問。今何ぞ彼等の法を擧げざるや。答。若し廣く之を出さば、還て行者をして退轉の心を生ぜしめんと。故に略して要を擧ぐ。若し堅く十重・四十八輕戒を持たば、理必ず念佛三昧を助成し、亦應に任運に餘行をも持得すべし。況や六法を具し、或は十法を具するもの、何の行か攝せざらん。故に略して述べざるなり。然るに麄強の惑業は、人をして學了せしむれども、但无義の語は、其の過顯不恒に正道を障ふ。善く應に之を治すべし。或は應に『大論』(卷四九)の文に依るべし、「人の火を失して四邊に倶に起るが如し。云何が其の内に安處して、餘事を語り説かんや。此の中に佛説きたまはく。若し聲聞・辟支佛の事を説くすら、猶無益の言と爲す。何に況や餘事をや」と。已上 行者常に娑婆の依・正に於て、火宅の想を生し、无益の語を絶ち、相續して佛を念ぜよ。