是の如くにして一相を取ること明了ならば、次第に遍く衆相を觀じ、心眼をして開明ならしめ、即ち惛睡沈闇の心を破れ。佛の功德を念ずれば、則ち罪障を除く。二に惡念思惟の障を治せんには、應に報佛の功德を念ずべし。正念の中に、佛の十力・四无所畏・十八不共・一切種智は、圓かに法界を照らし、常寂不動にして、普く色身を現じて、一切を利益したまふ功德は、无量にして不可思議なることを縁ぜよ。何を以ての故に、此の佛を念ずる功德は、勝縁善法中より生ずる心數なれども、惡念思惟は、惡法を縁ずる中より生ずる心數なり。善能く惡を破るが故に應に報佛を念ずべし。譬へば醜陋少智の人の端正大智の人の中に在れば、即ち自ら鄙耻するが如し。惡も亦是の如し。善心の中に在れば則ち耻愧して自ら息む。佛の功德を縁ずれば、念念の中に一切の障を滅す。三には境界逼追の障を治せんには、應に法佛を念ずべし。法佛とは即ち是法性なり、平等にして不生不滅なり。形色有ること无く、空寂无爲なり。无爲の中には既に境界无ければ、何者か是逼迫の相ならん。境界の空なることを知るが故に、即ち是對治なり。若し卅二相を念ずれば即ち對治に非ず。何を以ての故に、是の人未だ相を縁ぜざる時に、已に境界の爲に惱亂せらる、而るを更に相を取らば、此の着に因て魔其の心を狂亂す。今空を觀じて相を破すれば、諸の境界を除き、心に在きて佛を念ずれば、功德无量にして、即ち重罪を滅す」と。略抄 別相の治も是の如し。今三の通の治を加へん。一には能く惑の起りを了して其の心を驚覺し、煩惱を呵責すること惡賊を驅るが如くし、三業を防護すること油鉢を擎ぐるが如くせよ。『六波羅蜜經』(卷八)に云ふが如し。「結跏趺坐し、正念に觀察し、大悲の心を以て而も屋宅と爲し、智惠を鼓と爲し、覺悟の杖を以て而も之を扣き撃ちて、諸の煩惱に告げよ。汝等當に知るべし、諸の煩惱の賊は妄想より生ず。我が法王の家に善事起ること有るも、汝が所爲に非ず。汝宜しく速に出づべし。若し時に出ずんば、當に汝が命を斷つべし。是の如く告げ已るに、諸の煩惱の賊、尋で自ら散ず。次に自身に於て善く防護を起して應に放逸すべからず」と。