是の如き種種の相、亦應に須く論議すべし。住處とは、或は初禪・二・三・四・中間に於て、是の勢力を發して能く三昧を生ずるが故に住處と名く。初禪は少、二禪は中、三と四はとは多なり。或は少時住するを少と名け、或は世界を見ること少なく、或は佛を見たてまつること少なき故に少と名く。中と多とも亦是の如し。身に常行を開す。此の法を行ぜん時は、惡知識及び癡人・親屬・鄕里を避け、常に獨り處止し、他人に希望して求索する所有ることを得ざれ。常に乞食して別請を受けざれ。道場を嚴飾して諸の供具・香餚・甘菓を備へよ。其の身を盥沐して左右よりの出入には、衣服を改め換へよ。唯專ら行き旋りて九十日を一期と爲し、明師の内外の律に善くして能く妨障を開除するを須ひよ。所聞の三昧の處に於て、世尊を視たてまつるが如くし、嫌はず恚らず、短長を見ざれ。當に肌肉を割きても師に供養すべし。況や復餘をや。師に承事せんこと僕の大家に奉ずるが如くせよ。若し師に於て惡を生ぜば、是の三昧を求むるに終に得難し。外護は母の子を養ふが如くなるを須ひ、同行の共に嶮を渉るが如くなるを須ひよ。須く要期し誓願すべし。我筋骨をして枯朽せしむとも、是の三昧を學びて得ずば、終に休息せずと。大信を起せば能く壞る者无く、大精進を起せば能く及ぶ者无し。所入の智は能く逮ぶ者无く、常に善師と與に事に從へ。三月を終竟るまで、世間の想欲を念ずること彈指の項の如きをも得ざれ。三月終竟るまで臥出すること彈指の項の如きをも得ざれ。三月終竟るまで行じて休息することを得ざれ。坐食と左右とをば除く。人の爲に經を説かんに衣食を望むことを得ざれ。婆娑の偈に云く。善知識に親近し、精進して懈怠无く、智慧甚だ堅牢にして、信力妄動すること无かれと。口の説嘿とは、九十日身に常に行じて休息すること无く、九十日口に常に阿彌陀佛の名を唱へて休息すること无く、九十日心に常に阿彌陀佛を念じて休息すること无かれ。或は唱と念と倶に運び、或は先づ念じ後に唱へ、或は先づ唱へ後に念じ、唱と念と相繼ぎて休息する時无かれ。若し彌陀を唱ふれば即ち是十方の佛を唱ふると功德等し。但專ら彌陀を以て法門の主と爲す。