或は漸漸に略を取て應に念ずべし、願はくは佛必ず引攝したまへ。南无阿彌陀佛  是の如く病者の氣色を瞻て、其の所應に隨順して、但一事を以て最後の一念と爲し、衆多なることを得ざれ。其の詞の進止は殊に用意すべし。病者をして攀縁を生ぜしむること勿れ。 問。『觀佛三昧經』(卷五)に説くが如し。「佛阿難に告げたまはく。若し衆生有りて、父を殺し母を害し、六親を罵辱せん。是の罪を作れる者は、命終の時に、銅の狗口を張りて十八の車を化す。状金車の如し。寶盖上に在り、一切の火焰は化して玉女と爲る。罪人遙かに見て心に歡喜を生じ、我中に往かんと欲ふと。風刀解くる時、寒急にして聲を失し、寧ろ好き火を得て車の上に在りて、坐して燃ゆる火に自ら爆られんと。是の念を作し已りて、即便ち命終る。揮まち攉の間にして已に金車に坐せり。玉女を顧り瞻れば、皆鐵の斧を捉りて其の身を折り截る」と。又(觀佛三昧經卷五)言く。「復衆生有りて、四重禁を犯し、虚しく信施を食し、誹謗邪見にして因果を識らず、般若を學することを斷ち、十方の佛を毀り、僧祇物を偸み、婬佚无道にして、淨戒の諸の比丘尼、姉妹・親戚を逼略して懺愧を知らず、所親を毀辱して、衆の惡事を造れる、此の人の罪報、命終の時に臨みて、風刀身を解くに、偃坐定らず、杖禁を被むるが如し。其の心荒越にして癡狂の想を發す。己が室宅を見れば、男女・大小の一切は皆是不淨の物なり。屎尿の臭き處にして外に盈流せり。爾の時に罪人、即ち是の語を作さく。云何ぞ此の處に好き城廓及び好き山林の吾をして遊戲せしむるもの无くして、乃ち此の如きの不淨物の間に處くやと。是の語を作し已りて、獄卒羅刹、大なる鐵叉を以て阿鼻地獄及び諸の刀山を擎げて、化して寶樹及び淸涼の池と作す。火焰は化して金葉の蓮華と作り、諸の鐵の嘴ある虫は化して鳧・雁と爲る。地獄の痛聲は詠歌の音の如し。罪人聞き已りて、此の如き好き處に吾當に中に遊ぶべし、念ひ已りて即時に大蓮華に坐す」と。云云 寧んぞ知らん、今日の蓮華の來迎は是火華に非ざることを。答。