又(觀佛經卷六)云く。「老女の佛を見たてまつりて、邪見にして信ぜざるも、猶能く八十万億劫の生死の罪を除却せり、況や復善意にして恭敬し禮拜せんをや」。須達家の老女の因縁、彼の經に廣く説くが如し 又(觀佛經卷九)云く。「諸の凡夫、及び四部の弟子、方等經を謗り、五逆罪を作り、四重禁を犯し、僧祇物を偸み、比丘尼を婬し、八戒齋を破り、諸の惡事種種の邪見を作さんに、是の如き等の人、若し能く心を至して一日一夜、念を繋け前に在すがごとく佛如來の一の相好を觀ぜば、諸の惡も罪障も皆悉く盡滅せん」と。又(觀佛經卷九)云く。「若しは佛世尊に歸依すること有る者、若しは名を稱する者は、百千劫の煩惱の重障を除く。何に況や正心に念佛定を修せんをや」と。『寶積經』の第五に云く。「寶珠有り種種色と名く、大海の中に在りて、无量衆多の駚流の大海に入るもの有りと雖も、珠火の力を以て、水をして銷滅せしめて、盈溢せざらしむるが如く、是の如く如來・應・正等覺も、菩提を證し已れば智火の力に由て、能く衆生の煩惱をして銷滅せしめたまふこと、亦復是の如し。乃至 若し復人有りて、日日の中に於て、如來の名号の功德を稱説せば、是の諸の衆生は、能く黑闇を離れて漸次に當に諸の煩惱を燒くことを得べし。是の如く南无佛と稱念せば、語業空しからず。是の如きの語業をば、大炬を執りて能く煩惱を燒くと名く」と。『遺摩尼經』に云く。「菩薩は復數千巨億万劫、愛欲の中に在りて罪の爲に覆はらると雖も、若し佛の經を聞きて一反だも善を念ぜば、罪即ち消盡せん」と。已上諸文滅罪 『大悲經』の第二に云く。「若し三千大千世界に中に滿てらん、須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢を、若し善男子・善女人有りて、若しは一劫若しは減一劫、諸の種種の意に稱へる一切の樂具を以て、恭敬し尊重し、謙下して供養せん。若し復人有りて、諸佛の所に於て但一たびも合掌し一たびも名を稱せん。是の如き福德を前の福德に比べんに、百分にして一にも及ばず。百千億分にして一にも及ばず。