『般舟經』(卷中)に云く。「劫盡き壞燒せん時に、是の三昧を持てる菩薩は、正假ひ是の火の中に墮つとも、火即ち爲に滅せんこと、譬へば大なる甖の水の小火を滅するが如くならん。佛跋陀和に告げたまはく。我が語る所は異有ること无し。是の菩薩は、是の三昧を持てば、若しは帝王若しは賊、若しは火若しは水、若しは龍若しは虵、若しは又鬼神、若しは猛獸乃至 若しは人禪を壞り人の念を奪ふもの、設ひ是の菩薩を中らんと欲せば、終に中ること能はず。佛言はく。我が語る所の如きは異有ること无し。其の宿命をば除く。其の餘は能く中る者有ること无けん」と。『偈』(般舟經卷中)に曰く。「鬼神・乹陀共に擁護し、諸天・人民も亦是の如くせん。并に阿須倫・摩睺勒も、此の三昧を行ぜば、是の如きなることを得ん。諸天悉く共に其の德を頌して、天・人・龍・神・甄陀羅・諸佛も嗟嘆して願の如くならしめたまふ。經を諷誦し説きて人の爲にするが故なり。國と國と相伐ちて民荒亂し、飢饉荐に臻りて懷苦窮らんも、終に其の命を中夭せず。能く此の經を誦し人を化すればなり。勇猛に諸の魔事を降伏し、心に畏るる所无く、毛竪たず、其の功德行議るべからず。此の三昧を行ぜば是の如くなることを得ん」と。『十住婆娑』(卷一二)に此等の文を引き已りて云く。「唯業報を必ず受くるべき者を除く」と 『十二佛名經』の偈に云く。「若し人佛の名を持てば、衆魔及び波旬も、行住坐臥の處に其の便を得ること能はず」と。
[七、念佛利益 現身見佛]
第三に現身見佛とは、『文殊般若經』の下卷に云く。「佛云はく。若し善男子・善女人、一行三昧に入らんと欲せば、應に至閑に處し諸の亂意を捨て相貌を取らずして心を一佛に繋けて、專ら名字を稱へ、佛の方所に隨ひて身を端くし正しく向ひて、能く一佛に於て念念に相續すべし。即ち念の中に於て能く過去・未來・現在の諸佛を見たてまつらん」と。導禪師(禮讚意)釋して云く。「衆生は障重にして觀成就し難し。是を以て大聖悲憐して直に專ら名字を稱せよと勸めたまふ」と。『般舟經』(卷中)に云く。「前に聞かざりし所の經卷をば、