是の菩薩是の三昧を持てる威神もて、夢の中に悉く自ら其の經卷を得、各各悉く見悉く經の聲を聞かん。若し晝日に得ずんば若しは夜夢の中に於て、悉く佛を見たてまつることを得ん。佛跋陀和に告げたまはく。若しは一劫若しは一劫を過ぐるまでも、我是の菩薩の三昧を持てる者を説き、其の功德を説かんに盡し竟るべからず。何に況や能く是の三昧を求め得たる者をや」と。又同じき『經』(般舟經卷上)の偈に云く。「阿彌陀國の菩薩の无央數百千の佛を見たてまつるが如く、是の三昧を得たる菩薩も然なり、當に无央百千の佛を見たてまつるべし。乃至 其れ是の三昧を誦受すること有らば、已に面り百千の佛を見たてまつると爲す。假使ひ最後の大恐懼にも此の三昧を持たば畏るる所无けん」と。『念佛三昧經』の第九の偈に云く。「若し盡く一切の佛、現在・未來及び十方を見んと欲ひ、或は復妙法輪を轉ぜんことを求めんにも、亦先づ此の三昧を修習せよ」と。『十二佛名經』の偈に云く。「若し人能く心を至して、七日佛の名を誦すれば、淸淨の眼を得て能く无量の佛を見たてまつる」と。
[七、念佛利益 當來勝利]
第四に當來の勝利といふは、『華嚴』(唐譯卷二)の偈に云く。「若し如來の少功德を念じ、乃至一念の心だにも專仰したてまつらば、諸の惡道の怖悉く永く除こり、智眼は此に於て能く深く悟る」と。智眼天王頌 『般舟經』(卷中)の偈に云く。「其の人終に地獄に墮せず、餓鬼道及び畜生を離れ、世世に生るる所に宿命を識らん。是の三昧を學ばば是の如きを得ん」と。『觀佛經』(卷九)に云く。「若し衆生有りて一び佛身の上の如きの功德・相好・光明を聞かば、億億千劫にも惡道に墮せず、邪見雜穢の處に生ぜず、常に正見を得て勤修すること息まざらん。但佛の名を聞くすら是の如きの福を獲。何に況や念を觀佛三昧に繋けんをや」と。『安樂集』(卷上)に云く。「大集經に云く。諸佛の世に出でたまふに四種の法有りて衆生を度したまふ。何等をか四と爲す。一には口に十二部經を説く。即ち是法施もて衆生を度したまふなり。二には諸佛如來には、无量の光明・相好有ます。一切衆生、但能く心を繋けて觀察すれば、益を獲ずといふこと無し。即ち是身業もて衆生を度したまふなり。