三には无量の德用・神通道力・種種神變有ます。即ち是神通道力もて衆生を度したまふなり。四には諸佛如來は无量の名號有ます。若しは捴若しは別なり。其れ衆生有りて心を繋けて稱念すれば、障を除き益を獲て皆佛前に生ぜずといふこと莫し。即ち是名號もて衆生を度したまふなり」と。云云 有が云く。『正法念經』に此の文有りと。『十二佛名經』の偈に云く。「若し人佛の名を持てば怯弱の心を生ぜず、智慧ありて諂曲无くば、常に諸佛の前に在り。若し人佛の名を持てば、七寶の華の中に生ず。其の華千億葉にして威光の相具足せり」と。已上諸文、永く惡趣を離れて淨土に往生す 『觀佛經』(卷一)に云く。「若し能く心を至して繋念内に在り、端坐正受して佛の色身を觀ずれば、當に知るべし、是の人の心は佛の心の如くにして、佛と異なること无けん。煩惱に在りと雖も諸惡の爲に覆蔽せられず、未來世に於て大法雨を雨らす」と。『大集念佛三昧經』の第七に云く。「當に知るべし、是の如きの念佛三昧は、則ち捴じて一切の諸法を攝すと爲す。是の故に彼の聲聞・縁覺の二乘の境界に非ず。若し人暫くも此の法を説くを聞かん者は、是の人は當來に決定して佛と成ること疑有ること无きなり」と。同じき『經』(大集念佛三昧經)の第九に云く。「但能く耳に此の三昧の名を聞かば、假令ひ讀まず誦せず、受けず持たず、修せず習はず、他の爲に轉ぜず、他の爲に説かず、亦復廣く分別し釋すること能はざらんも、然も彼の諸の善男子・善女人は、皆當に次第に阿耨菩提を成就すべし」と。同じき『經』(大集念佛三昧經卷九)の偈に云く。「諸の妙相を圓滿し衆の妙上の莊嚴を具足せんと欲し、及び淸淨の家に轉生することを求めなば、必ず先づ此の三昧を受持せよ」と。又有る『經』(倶舎論卷二七)に言く。「若し佛の福田に於て、能く少分の善を殖ゑなば、初には勝善趣を獲、後には必ず涅槃を得ん」と。『大般若經』に云く。「佛を敬ひ憶ふに依て、必ず生死を出でて涅槃に至る。此をば置く。乃至佛を供養したてまつらんが爲に、一花を以て虚空に散ずるも、亦是の如し。又此をば置く。若し善男子・善女人等、下一び南謨佛陀大慈悲と稱するに至らば、