『觀經』に云く。「光明遍く十方世界を照らしたまふ、念佛の衆生をば攝取して捨てたまはず」と。又(觀經)云く。「無量壽佛は、化身无數にして、觀世音・大勢至と、常に此の行人の所に來至したまふ」と。『十往生經』(意)に、釋尊阿彌陀佛の功德、國土の莊嚴等を説き已りて云く。「淸信士・淸信女、是の經を讀誦し、是の經を流布し、是の經を恭敬し、是の經を謗らず、是の經を信樂し、是の經を供養せん。是の如き人の輩は是の信敬に縁て、我今日より、常に前の二十五の菩薩をして是の人を護持せしめ、常に是の人をして病无く惱无く、惡鬼・惡神も亦中害せず、亦之を惱さず、亦便を得ざらしめん」と。已上、乃至、睡寤行住所至の處、皆悉く安穩ならん、云云 唐土の諸師云く、二十五菩薩は、阿彌陀佛を念じ、往生を願ふ者を擁護すと。此亦彼の經の意に違はず。二十五とは、觀世音菩薩・大勢至菩薩・藥王菩薩・藥上菩薩・普賢菩薩・法自在菩薩・師子孔菩薩・陁羅尼菩薩・虚空藏菩薩・德藏菩薩・寶藏菩薩・金光藏菩薩・金剛藏菩薩・光明王菩薩・山海慧菩薩・華嚴王菩薩・衆寶王菩薩・月光王菩薩・日照王菩薩・三昧王菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・白象王菩薩・大威德王菩薩・无邊身菩薩なり 『雙卷經』(大經卷上)の彼の佛の本願に云く。「諸天人民、我が名字を聞きて、五躰を地に投げて稽首し禮を作して、歡喜信樂し菩薩の行を修せん、諸天世人致敬せざること莫けん。若し爾らずば正覺を取らじ」と。已上冥得護持 『大集經賢護分』(卷一)に云く。「善男子・善女人、端坐繋念し、心を專にして彼の阿彌陀如來・應供・等正覺を想ひて、是の如きの相好、是の如き威儀、是の如きの大衆、是の如きの説法を、聞くが如く繋念し一心に相續して、次第亂れず、或は一日を經、或は復一夜せん。是の如くして或は七日七夜に至るまで、我が聞く所の如く具足して念ずるが故に、是の人は必ず阿彌陀如來・應供・等正覺を覩たてまつる。若し晝の時に於て見たてまつること能はずば、若しは夜分に於て、或は夢の中に、阿彌陀佛必ず當に現じたまふべし」と。『觀經』に云く。「眉間の白毫を見れば、