八万四千の相好、自然に當に見つべし。无量壽佛を見たてまつる者は、即ち十方の无量の諸佛を見たてまつる。无量の諸佛を見たてまつることを得るが故に、諸佛現前に授記す。是を遍觀一切色相と爲す」と。已上見佛 『鼓音聲王經』に云く。「十日十夜、六時に念を專にし、五體を地に投げて彼の佛を禮敬し、堅固正念にして悉く散亂を除き、若しは能く心に念じ、念念に絶えざらしめば、十日の中に必ず彼の阿彌陀佛を見たてまつることを得、并に十方世界の如來及び所住の處を見たてまつらん。唯重障と鈍根の人をば除く。今の少時に於て覩ること能はざる所なり。一切の諸善もて、皆悉く廻向して安樂世界に往生することを得んと願へば、終に垂とする日に、阿彌陀佛諸の大衆と與に其の人の前に現じて、安喩し稱善したまはん。是の人即の時に、甚だ慶悅を生ぜん。是の因縁を以て、其の所願の如く、即ち往生することを得ん」と。『平等覺經』(卷三)に云く。「佛言はく。要ず當に齋戒し一心淸淨にして晝夜に常に念じ、无量淸淨佛の國に生ぜんと欲して、十日十夜斷絶せざるべし。我皆之を慈愍して、悉く无量淸淨佛の國に生ぜしめん」と。乃至、一日一夜も亦是の如し。或は此の文を以て下の諸行門の中に置くべし 『雙卷經』(大經卷下)の偈に云く。「其の佛の本願力、名を聞きて往生せんと欲へば、皆悉く彼の國に到りて、自ら不退轉に致る」と。『觀經』の下品上生の人は、命終らんとする時に臨みて、合掌し叉手して南无阿彌陀佛と稱するに、佛の名を稱するが故に、五十億劫の生死の罪を除き、化佛の後に從ひて寶池の中に生ず。同じき品の中生の人は、命終らんとする時に臨みて、地獄の猛火、一時に倶に至らんに、彌陀佛の十力威德・光明神力・戒・定・惠・解脱・知見を聞けば、八十億劫の生死の罪を除き、地獄の猛火、化して淸涼風と爲り、諸の天華を吹く。華の上に皆化佛・菩薩有りて、此の人を迎接し、即ち往生することを得。同じき品の下生の人は、命終らんとする時に臨みて、苦に逼められて佛を念ずること能はず。善友の敎に隨ひて、但心を至して聲をして絶えざらしめ、十念を具足して南無无量壽佛と稱せん。