佛の名を稱するが故に、念念の中に於て八十億劫の生死の罪を除き、一念の項の如くに即ち往生することを得。『雙卷經』(大經卷上)の彼の佛の本願に云く。「諸佛世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の无生法忍、諸の深捴持を得ずば、正覺を取らじと。 他方國土の諸の菩薩衆、我が名字を聞きて、即ち不退轉に至ることを得ずば、正覺を取らじ」と。『觀經』に云く。「若し念佛する者は、當に知るべし、此の人は是人中の分陀利華なり。觀世音菩薩・大勢至菩薩、其の勝友と爲りたまふ。當に道場に坐し諸佛の家に生ずべし」と。已上將來勝利、餘は上の別時念佛門の如し
[七、念佛利益 引例勸信]
第六に引例勸信とは、『觀佛經』の第三(意)に佛諸の釋子に告げて言はく。「毗婆尸佛の像法の中に一の長者有り、名けて月德と曰ふ。五百の子有り、同じく重病に遇へり。父子の前に致りて涕涙し合掌して、諸子に語りて言く。汝等邪見にして正法を信ぜず。今无常の刀汝が身を截り切るも、何の怙む所と爲ん。佛世尊、毗婆尸と名けたてまつる、汝佛を稱すべしと。諸子聞き已りて其の父を敬ふが故に南无佛と稱す。父復告げて言く。汝法を稱すべし、汝僧を稱すべし、未だ三び稱するに及ばず、其の子命終り、佛を稱せるを以ての故に四天王の所に生ぜり。天上の壽盡き、前の邪見の業もて大地獄に墮ちたり。獄率羅刹は、熱鐵の杈以て其の眼を刺し壞れり。是の苦を受けし時、父の長者の敎誨せし所の事を憶ひ、佛を念ぜしを以ての故に、還人中に生ぜり。尸棄佛の出でたまへるに、但佛の名を聞きて佛の形をば覩たてまつらず、乃至迦葉佛の時に、亦其の名を聞けり。六佛の名を聞きし因縁を以ての故に我と同じく生ぜり。是の諸の比丘、前世の時、惡心を以ての故に、佛の正法を謗れるも、但父の爲の故に南无佛と稱せしをもて、生生に常に諸佛の名を聞くことを得、乃至今世に我が出に値遇して諸の障除こりしが故に、阿羅漢と成れり」と。又(觀佛經卷三意)云く。「燃燈佛の、末法の中に一の羅漢有りき。其の千の弟子、