多く衆の惡法を造りて、慙愧有ること無けん。臨終に十二部經の首題の名字を聞き、及び合掌して南无阿彌陀佛と稱ふ。 下品中生とは、或は衆生有りて、五戒・八戒及び具足戒を毀犯せん。此の如きの愚人、命終らんと欲する時、地獄の衆火一時に倶に至らん。善知識の大慈悲を以て、爲に阿彌陀佛の十力威德を説き、廣く彼の佛の光明神力を説き、亦戒・定・慧・解脱・知見を讃ずるに遇はん。此の人聞き已りて、八十億劫の生死の罪を除く。 下品下生とは、或は衆生有りて、不善業たる五逆・十惡を作り、諸の不善を具せん。此の如きの愚人、惡業を以ての故に、惡道に墮す。命終の時に臨みて善知識に遇ひ、佛を念ぜずと雖も、但心を至して聲をして絶えざらしめて、十念を具足して南无无量壽佛と稱せん。佛の名を稱するが故に、念念の中に於て八十億劫の生死の罪を除く」と。『雙卷經』の三輩の業も亦此を出でず。『觀經』には十六觀を以て往生の因と爲せり。『寶積經』に佛前の蓮華に化生するに四の因縁有ることを説く。偈(寶積經卷九八)に云く。「花香もて佛及び支提に散ずると、他を害せざると并びに像を造ると、大菩提に於て深く信解するとは、蓮華に處して佛前に生ずることを得」と。已上 餘は繁く出さず。私に云く。支提は塔廟の異名なり
[九、往生諸行 總結諸業]
第二に惣じて諸業を結すとは、惠遠法師(觀經義疏卷末意)淨土の因要を出せるに四有り。「一には觀を修して往生す、十六觀の如し。二には業を修して往生す、三福業の如し。三には心を修して往生す、至誠等の三心なり。四には歸向して往生す、淨土の事を聞きて歸向し稱念し讃嘆する等なり」と。今私に云く。諸經の行業惣じて之を言はば、『梵網』の戒品を出でず、別して之を論ぜば六度を出でず。細しく其の相を明さば其の十三有り。一には財法等の施。二には三歸・五戒・八戒・十戒多少の戒行。三には忍辱。