四には精進。五には禪定。六には般若。第一義等を信ずる是なり 七には菩提心を發す。八には六念を修行す。佛・法・僧・戒・施・天を念ず、之を六念と謂ふ。十六想觀は亦之を出でず 九には大乘を讀誦す。十には佛法を守護す。十一には父母に孝順し師長に奉事す。十二には憍慢を生ぜず。十三には利養に染まざるなり。『大集』(卷四七)月藏分の偈に云く。「樹の菓繁れば速やかに自ら害ふが如く、竹蘆の實を結ぶも亦是の如し。任騾の懷めば自身を喪ふが如く、无智にして利を求むるも亦復然なり。 若し比丘有りて供養を得、利養を樂ひ求めて堅く著する者は、世に於て更に此の如きの惡无し。故に解脱の道をば得ざらしむ。是の如く利養を貪求する者は、既に道を得已るも還復失はん」と。『佛藏經』(卷中)に迦葉佛、記して云く。「釋迦牟尼佛は、多く供養を受くるが故に、法は當に疾く滅すべし」と云云。如來にして尚爾なり。何に況や凡夫をや。大象の窓を出づるに遂に一の尾の爲に碍げられ、行人の家を出づるに遂に名利の爲に縛せらると。則ち知る、出離の最後の怨は、名利より大なる者は莫きことを。但淨名大士は、身は家に在れども心は家を出で、藥王の本事は、塵寰を避けて雪山に居せり。今の世の行人も亦應に是の如くなるべし。自ら根性を料りて、之に進止せよ。若し其の心を制すること能はずば、猶須く其の地を避くべし。麻中の蓬と、屠邊の厩と、好惡何にか由るや。『佛藏經』を見て是非を知るべし

往生要集 卷下本 終