問。彼の佛の相好何を以てか同じからざる。答。『觀佛經』(卷九)に諸佛の相好を説きて云く。「人相に同ずるが故に三十二と説き、諸天に勝るが故に八十種好と説く。諸の菩薩の爲には八万四千の諸の妙相好と説く」と。已上 彼の佛も之に准ぜよ。 問。『雙卷經』(卷上)に云く。「彼の佛の道樹は高さ四百万里なり」と。『寶積經』(如來會卷上意)に云く。「道樹の高さ十六億由旬なり」と。『十往生經』に云く。「道樹の高さ四十万由旬にして、樹下に師子の座有り、高さ五百由旬なり」と。『觀經』に云く。「佛身の量、六十万億那由他恆河沙由旬なり」と云云。樹と座と佛身と何ぞ相稱はざる。答。異解不同なり。或は釋すらく、佛の境界は大小相碍げずと。或は釋すらく、應佛に寄せて樹量を説き、眞佛に寄せて身量を説くと。又多釋有り、具に述ぶべからず。 問。『華嚴經』(晋譯卷二九意)に云く。「娑婆世界の一劫を極樂國の一日一夜と爲す」等と云云 此に由て當に知るべし、上品中生の、宿を逕て華開くは此の間の半劫に當れり、乃至下下生の十二劫は、此の間の恆河沙塵數劫に當れり。何ぞ極樂と名けん。答。設ひ恆劫を經るまで蓮華開けざらんも、既に微苦无し、豈極樂に非ざらん。『雙卷經』(卷下)に云ふが如し。「其れ胎生の者は、處する所の宮殿、或は百由旬、或は五百由旬なり。各々其の中にして諸の快樂を受くること忉利天の如し」と。已上 有る師(略論?)云く。「胎生は是中品と下生となり」と。有る師(述文賛卷下意)云く。「九品に攝せざる所なり」と。異説有りと雖も、快樂は別ならず、何に況や彼の九品に逕る所の日時を判ずること、諸師不同なるをや。懷感・智憬等の諸師の、彼の國土の日夜劫數と許すは、誠に責むる所に當れり。有る師云く。「佛は此の土の日夜を以て、之を説きて衆生をして知らしめたまふ」と。云云 今謂く、後の釋失无し、且く四の例を以て助成せん。一には彼の佛の身量若千由旬とは、彼の佛の指分を以て疊ねて彼の由旬と爲すにはあらず。若し爾らずば、