若し爾らずば、諸文桙楯せん。答。未だ知らず、彼の國の多善は劣り、此の界の少善は勝るといふことを。 問。『雙卷經』
(大經卷下)に説かく。「是に於て廣く德本を殖ゑ、恩を布き惠を施して、道禁を犯すこと勿れ。忍辱・精進・一心・智慧もて、轉た相敎化し、善を立て意を正しくして齋戒淸淨なること一日一夜すれば、无量壽佛國に在りて善を爲すこと百歳するに勝れり。所以は何ん、彼の佛國土は、无爲自然にして皆衆善を積み毛髮の惡も无ければなり。此に於て善を修すること十日十夜すれば、他方の諸佛の國中に於て、善を爲すこと千歳するに勝れり」等と。
已上 是其の勝劣なり。答。二界の善根は剋對せば爾るべし。然れども値佛の縁勝れたれば速に悟るに失无し。或は此の經は但脩行の難易を顯し、善根の勝劣を顯すに非ず。譬へば貧賎の一錢を施すは稱美すべしと雖も、而も衆事を辨ぜず、富貴の千金を捨つるは稱すべからずと雖も、而も能く万事を辨ずるが如し。二界の修行亦復是の如し。『金剛般若經』
(意)に云ふが如し。「佛世に信解するは未だ勝れたりと爲るに足らず。滅後をば勝れたりと爲す」と。或は餘の義有り。委曲すること能はず。 問。娑婆の行因に隨ひて極樂の階位に別有るが如く、所感の福報も亦別有りや。答。大都は別无きも、細分は差有り。『陀羅尼集經』の第二に云ふが如し。「若し人香華・衣食等を以て供養せざれば、彼の淨土に生ずと雖も、而も香華・衣食等の種種の供養の報を得ず」と。
此の文は彼の佛の本願に違へり。更に之を思釋せよ 玄一師と、因法師とは同じく云く。「實に約して論ずれば亦勝劣有り、然も其の状相似たるが故に好醜無しと説く」と。 問。極樂世界は此を去ること幾の處ぞや。答。『經』
(小經)に云く。「此より西方、十万億の佛土を過ぎて極樂世界有り」と。有る『經』
(稱讚淨土經)に云く。「是より西方、此の世界を去ること百千倶
那庾多の佛土を過ぎて佛世界有り、名けて極樂と曰ふ」と。 問。二經何が故ぞ不同なる。答。『論』の智光の『疏』の意に云く。「倶
と言ふは、此には億と爲す。