那由多とは、此の間の欬の數に當れり。世俗に言く。十千を万と曰ひ、十万を億と曰ひ、十億を兆と曰ひ、十兆を經と曰ひ、十經を欬と曰ふ。欬は猶是大數なり。百千倶は即ち十万億なり。億に四位有り。一には十万、二には百万、三には千万、四には万万なり。今億と言へるは即ち是万万なり。此の義を顯さんが爲に那庾多を擧ぐ」と。已上 此の釋思ふべし。 問。彼の佛の化したまふ所は唯極樂のみと爲んや亦餘有りと爲んや。答。『大論』(卷三二)に云く。「阿彌陀佛に亦嚴淨と不嚴淨との土有ること、釋迦文の如し」と。 問。何等か是なるや。答。極樂世界は即ち是淨土なり。然れども其の穢土は未だ何れの處なるかを知らず。但道綽等の諸師、『鼓音聲經』所説の國土を以て、彼の穢土と爲せり。彼の『經』に云ふが如し。「阿彌陀佛は聲聞と倶なり。其の國を号して淸泰と曰ふ。聖王の住む所なり。其の城の縱廣十千由旬にして、中に刹利の種を充滿せり。阿彌陀如來・應・正遍知の父を月上轉輪聖王と名け、其の母を名けて殊勝妙顏と曰ひ、子を月明と名け、奉事の弟子を无垢稱と名け、智慧の弟子を攬光と曰ひ、神足精勤を名て大化と曰ふ。爾の時の魔王を名けて无勝と曰ひ、提婆達多有りて名づけて寂靜と曰ふ。阿彌陀佛は大比丘六万人と倶なりき」と。已上  問。彼の佛の化したまふ所は唯極樂・淸泰の二國なりと爲るや。答。敎文は縁に隨ひて且く一隅を擧ぐるのみ。其の實處を論ずれば不可思議なり。『華嚴經』(唐譯卷七)の偈に云ふが如し。「菩薩の諸の願海を修行するは、普く衆生の心の所欲に隨ふ。衆生の心行廣くして无邊なれば、菩薩の國土も十方に遍し」と。又(唐譯卷五)云く。「如來は出現して十方に遍じ、一一の塵の中に无量の土あり、其の中の境界も亦无量なり、悉く无邊无盡劫に住す」と。 問。如來の施化は事孤り起らず、要ず機縁に對す。何ぞ十方に遍ずるや。答。廣劫に修行して无量の衆を成就したまふ。故に彼の機縁も亦十方界に遍し。