此の微因より、遂に大果を着はすなり。彼の尼拘陀樹の、芥子許の種より枝葉を生じて、遍く五百兩の車を覆ふが如し。淺近の世法せら猶思議すること難し。何に況や出世の甚深の因果をや。唯應に信仰すべし。疑念すべからず。 問。染心を以て如來を縁ずる者も、亦益有りや。答。『寶積經』の第八に、密迹力士、寂意菩薩に告げて云く。「耆域醫王、諸の藥を合集して、以て藥草を取りて、童子の形を作れり。端正殊妙なること、世に希有なり。所化安諦にして所有究竟し、殊異なること比无かりき。往來・周旋・住立・安坐・臥寐・經行、缺漏する无く顯變する所の業あり。或は大豪の國王・太子・大臣・百官・貴姓・長者有りて、耆域醫王の所に來到し、藥童子を觀て共に歌ひ戲れんに、其の顏色を相見れば、病皆除こることを得、便ち安穩寂靜にして无欲なることを致す。寂意且く觀ぜよ。其の耆域醫王の世間を療治するは、其の餘の醫師の及ぶこと能はざる所なり。是の如く寂意、若し菩薩ありて法身を奉行すれば、假使ひ衆生、婬・怒・癡盛にして、男女・大小欲相もて慕ひ樂み、即ち共に相娯まんとするも、貪欲の塵勞は、悉く休息することを得ん」と。種諸入の无陰を信解し觀察するを則ち奉行法身と名く 法身を奉行する菩薩すら尚爾なり、何に況や法身を證得せる佛をや。 問。欲想もて縁ずるに此の利益有るが如く、誹謗し惡厭するも亦益有りや。答。既に婬・怒・癡と云へり。明けし、唯欲想のみに非ず。又『如來祕密藏經』下卷に云く。「寧ろ如來に於て不善の業を起すとも、外道・邪見の者の所に於て供養を施作することなかれ。何を以ての故に、若し如來の所に於て不善の業を起さば、當に悔ゆる心有りて究竟して必ず涅槃に至ることを得べし。外道の見に隨はば當に地獄・餓鬼・畜生に墮すべし」と。 問。此の文は便ち因果の道理に違し、亦復衆生の妄心を增さん。如何ぞ惡心を以て大涅槃の樂を得んや。答。惡心を以ての故に、三惡道に墮す。一び如來を縁ずるを以ての故に、必ず涅槃に至る。是の故に因果の道理に違せざるなり。