謂く「彼の衆生地獄に墮つる時、佛に於て信を生じ追悔の心を生ず。此に由て展轉して必ず涅槃に至る」と。『大悲經』(卷一意)に見えたり 染心に如來を縁ずる利益すら尚是の如し、何に況や淨心に一び念じ一び稱せんをや。佛の大恩德は之を以て知るべし。 問。諸の文に説く所の菩提涅槃は、三乘の中に於て是何れの果ぞ。答。初には機に隨ひて三乘の果を得と雖も、究竟じて必ず无上佛果に至る。『法華經』(卷一)に云ふが如し。「十方佛土の中には、唯一乘の法のみ有りて、二も无く亦三も无し、佛の方便の説をば除く」と。又『大經』(北本涅槃經卷二七・南本涅槃經卷二五)に如來の決定の説義を明して云く。「一切の衆生には悉く佛性有り、如來は常住にして變易有ること无し」と。又(北本涅槃經卷二七・南本涅槃經卷二五)云く。「一切の衆生は阿耨菩提を得るが故に、是の故に我説く、一切衆生には悉く佛性有り」と。又(北本涅槃經卷二七・南本涅槃經卷二五意)云く。「一切衆生には悉く皆心有り。凡そ心有る者は、定んで當に阿耨菩提を成ずることを得べし」と。 問。何が故に諸文の所説不同にして、或は一び佛を聞かば定んで菩提を成ずと説き、或は應に勤修すること頭燃を救ふが如くすべしと説き、又『華嚴』の偈(唐譯卷一三)には「人の他の寶を數ふるも、自ら半錢の分无きが如し。法に於て修行せざれば、多聞するも亦是の如し」と云へるや。答。若し速に解脱せんと欲はば、勤めずしては分无きが如し。若し永劫の因を期さば、一び聞くも亦虚しからず。是の故に諸文の理相違せざるなり。
[一〇、問答料簡 諸行勝劣]
第七に諸行の勝劣とは、 問。往生の業の中には念佛は最爲れども、餘業の中に於ても、亦最と爲るや。答。餘の行法の中にても、此れ亦最勝なり。故に『觀佛三昧經』(卷一〇意)に六種の譬有り。一に云く。「佛阿難に告げたまはく。譬へば長者の將に死せんとす久しからずして、諸の庫藏を以て其の子に委付す。其の子得已りて、意に隨ひて遊戲す。忽ち一時に於て王難有るに値ひ、无量の衆賊競ひて藏物を取る。唯一の金有り、乃ち是閻浮檀那紫金にして、重さ十六兩なり。金鋌の長短、亦十六寸なり。此の金一兩の價直は餘の寶の百千万兩なり。