即ち穢物を以て眞金を纒裹して、泥團の中に置く。衆賊見已りて、是金なりと識らず、脚もて踐みて去る。賊去りて後、財主金を得て心大に歡喜するが如し。念佛三昧も亦復是の如し。當に密に之を藏すべし」と。二に云く。「譬へば貧人王の寶印を執り、逃走して樹に上る。六兵之を追ふに、貧人見已りて、即ち寶印を呑む。兵衆疾く至りて樹をして倒僻せしむ。貧人地に落ちて身躰散壞し、唯金印のみ在るが如し。念佛の心印の壞れざることも亦復是の如し」と。三に云く。「譬へば長者將に死せんこと久しからずして、一の女子に告ぐ。我今寶有り、寶の中の上れたる者なり。汝此の寶を得て密藏して堅からしめ、王をして知らしむること莫れと。女父の敕を受け、摩尼珠及び諸の珍寶を持ちて、之を糞穢に藏す。室家の大小皆亦知らず。世の飢饉に値ひて、如意珠を持ちて、意語に隨ひて即ち百味の飮食を雨らさしむ。是の如く種種に意に隨ひて寶を得るが如し。念佛三昧の堅心不動なることも亦復是の如し」と。四に云く。「譬へば大旱にして雨を得ること能はず。一の仙人有りて咒を誦するに、神通力の故に、天より甘雨を降らし地より涌泉を出さんが如し。念佛し得る者は、善く咒する人の如し」と。五に云く。「譬へば力士數々王法を犯して囹圄に幽閉せらるるに、逃れて海邊に到り、髻の明珠を解きて、持て船師を雇ひて彼岸に到り、安穩にして懼無きが如し。念佛を行ずる者は、大力士の如し。心王の鏁を挽れて彼の慧岸に到る」と。六に云く。「譬へば劫盡に大地洞燃するに、唯金剛山のみ摧破すべからず、還て本際に住するが如し。念佛三昧も亦復是の如し。是の定を行ずる者は、過去の佛の實際海の中に住す」と。已上略抄 又『般舟經』(卷上)の問事品に念佛三昧を説きて云く。「常に當に習持すべし、常に當に守りて復餘の法に隨はざるべし。諸の功德の中に最尊第一なり」と。已上 又不退轉の位に至るに難易の二道有り。易行道と言ふは、即ち是念佛なり。故に『十住婆沙』の第三(卷五易行品)に云く。「世間の道に難有り易有り、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乘船は則ち樂しきが如し。