菩提の道も亦是の如し。或は勤行精進のもの有り、或は信方便の易行を以て疾く阿惟越致に至る有り。乃至 阿彌陀等の佛、及び諸大菩薩、名を稱し一心に念ずれば、亦不退轉を得」と。已上 文の中に過去・現在の一百餘の佛、彌勒・金剛藏・淨名・无盡意・跋陀婆羅・文殊・妙音・師子吼・香象・常精進・觀世音・勢至等の、一百餘の大菩薩を擧げ、其の中に廣く彌陀佛を讃めたてまつれるなり。諸行の中に於て、唯念佛の行のみ、修し易くして上位を證す。知んぬ、是最勝の行なることを。又『寶積經』の九十二に云く。「若し菩薩有りて、多く衆務を營み、七寶の塔を造りて、遍く三千大千世界に滿たさんに、是の如き菩薩は、我をして歡喜を生ぜしむること能はず、亦我を供養し恭敬するにも非ず。若し菩薩有りて、波羅蜜相應の法に於て、乃至一の四句の偈を受持し、讀誦し修行し、人の爲に演説せん。是の人は乃ち我を供養すと爲す。何を以ての故に、諸佛の菩提は多聞より生じて、衆務より生ずることを得ざればなり。乃至 若し一閻浮提の營事の菩薩は、一の讀誦し修行し演説する菩薩の所に於て、當に親近し供養し承事すべし。若し一閻浮提の讀誦し修行し演説する諸の菩薩等は、一の禪定を勤修する菩薩に於て、亦當に親近し供養し承事すべし。是の如きの善業をば、如來は隨喜し如來悅可したまふ。若し智慧を勤修する菩薩に於て、承事し供養せば、當に无量の福德の聚を獲べし。何を以ての故に、智惠の業は、無上最勝にして一切三界の所行に出過すればなり」と。『大集』の月藏分の偈(卷四六)に云く。「若し人百億の諸佛の所にして、多の歳數に於て常に供養せんに、若し能く七日闌若に在りて、根を攝めて定を得ば、福彼よりも多からん。乃至 閑靜无爲なるは佛の境界なり、彼に於て能く淨菩提を得。若し人彼の住禪の者を謗らんは、是を諸の如來を毀謗すと名く。若し人塔を破ること多百千、及以び百千の寺を焚燒せんに、