五劫の中、當に地獄に墮し具に衆苦を受くべし」と。 問。若し深信无くして疑念を生ずる者は、終に往生せざるや。答。若し全く信ぜず、彼の業を修せず、願求せざる者は、理として生るべからず。若し佛智を疑ふと雖も、而も猶彼の土を願ひ、彼の業を修する者は、亦往生することを得。『雙卷經』(大經卷下)に云ふが如し。若し衆生有りて、疑惑心を以て、諸の功德を修して、彼の國に生ぜんと願ぜん。佛智・不思議智・不可稱智・大乘廣智・无等倫最上勝智を了らずして、此の諸智に於て、疑惑して信ぜず、然も猶罪福を信じて、善本を修習して、其の國に生れんと願ぜん、此の諸の衆生、彼の宮殿に生れて壽五百歳、當に佛を見たてまつらず、經法を聞かず、菩薩・聲聞・聖衆を見ず。是の故に彼の國土に於て、之を胎生と謂ふ」と。已上 佛の智慧を疑ふ罪は惡道に當れり。然も願に隨ひて往生するは、是佛の悲願力なり。『淸淨覺經』には此の胎生を以て中輩・下輩の人と爲せり。然れども諸師の所釋繁く出すこと能はず。 問。佛智等と言ふは、其の相云何。答。憬興師は『佛地經』の五法を以てせり。今は五智に名く。謂く淸淨法界を佛智と名け、大圓鏡等の四を以て、次の如く不思議等の四に當つるなり。玄一師は佛智は前の如し、後の四智を以て、逆に成事智等の四に對すなり。餘の異解有るも、之を煩はしくすべからず。
[一〇、問答料簡 助道資縁]
第九に助道の資縁とは、 問。凡夫の行人は、要ず衣食を須ふ。此れ小縁なりと雖も、能く大事を辨ず。裸餧にして安からずんば道法焉ぞ在らん。答。行者に二有り。謂く在家と出家となり。其の在家の人は家業自由にして、飡飯・衣服あり。何ぞ念佛を妨げん。『木槵經』の瑠璃王の行の如し。其の出家の人に、亦三類有り。若し上根の者は、草座・鹿皮・一菜・一菓なり、雪山の大士の如き是なり。若し中根の者は、常に乞食糞掃衣なり。若し下根の者は、檀越の信施なり。但し少しく有ち少しく所得有れば即便ち足るを知る。