具には『止觀』の第四の如し。況や復若し佛弟子にして、專ら正道を修して貪求する所无き者は、自然に資縁を具す。『大論』(卷二八)に云ふが如し。「譬へば比丘の貪求する者は供養を得ず、貪求する所无きは則ち乏短なる所无きが如し。心も亦是の如し。若し分別して相を取れば、則ち實法を得ず」と。又『大集』の月藏分(卷五二)の中に、欲界の六天、日・月・星宿、天・龍八部、各々佛前に於て誓願を發して言く。「若し佛の聲聞の弟子の、法に住し法に順じ、三業相應して而も修行せん者をば、我等皆共に護持し養育し所須を供給して、乏くる所无からしめん。若し復世尊の、聲聞の弟子の積聚する所无きをば護持し養育せん」と。又(大集經卷五二)言く。「若し復世尊の聲聞の弟子の、積聚に住し、乃至三業と法と相應せざらん者は、亦當に棄捨すべし、復養育せず」と。 問。凡夫は必ずしも三業相應せざるなり。若し缺漏すること有らば、應に依怙无かるべし。答。是の如き問難は、是即ち懈怠にして、道心无き者の致す所なり。若し誠に菩提を求め、誠に淨土を欣はん者は、寧ろ身命を捨つるとも、豈禁戒を破らんや。應に一世の勤勞を以て永劫の妙果を期すべし、況や復設ひ戒を破すと雖も其の分无きに非ざるをや。同じき『經』(大集經卷五二)に佛の言ふが如し。「若し衆生有りて、我が爲に出家し、鬢髮を剃除して袈娑を被服せんに、設ひ戒を持たずとも、彼等は悉く已に涅槃印の爲に印せらるるなり。若し復出家して戒を持たざる者をも非法を以て而も惱亂を作し、罵辱し毀訾し、手に刀杖を以て打縛し斫截し、若しは衣鉢を奪ひ、及び種種の資生の具を奪ふこと有らん者は、是の人は則ち三世の諸佛の眞實の報身を壞り、則ち一切の天人の眼目を挑るなり。是の人は諸佛の所有の正法、三寶の種を隱沒せんと欲するが爲の故に、諸の天人をして利益を得ずして地獄に墮せしむるが故に、三惡道をして增長し盈滿せしむるが爲の故に。云云 爾の時に復一切の天・龍乃至一切の迦吒富單那・人・非人等有りて、皆悉く合掌して是の如きの言を作さく。